5月の末とは思えないような猛暑のポルトガル。
夕方、いつものようにプールで泳いでいると、夫が「電話」と声をかけてきました。
私の周りでは、もちろん私も含めてほとんどの会話はSNSです。
たまにフェイスタイムなどで会話をする時は、お互いに連絡し合ってから。
この家もパリも含めて、もう電話は数年以上前から携帯電話のみです。
ですから、このように電話が、それも夫の携帯に私の友達が電話をしてくるなんて何かあったとしか考えられません。

急いでプールから上がって電話を受け取ると、イタリア・フローレンスに住む友達、アルバロから。
「正子、カレンが亡くなった」。
その一言です。

カレンと一緒に

来週末はフローレンスに行く予定でしたから、2日前に「カレンがフローレンスのヴィラに滞在中ならば、一緒に食事がしたい」とメールをしたばかりです。
実は先週から、毎日のようにカレンのことが気になって、早くメールをしなければと思っていた矢先でした。

今年初めに、すい臓がんが発覚してからあっという間のことだったようです。

彼女に初めて会ったのは、パリにあるナターシャというアルゼンチン料理のレストランです。その夜のことはまだ昨日のことのように鮮明に覚えています。
アートディレクターのダグラスと、フォトグラファーのグイドと4人でした。
その当時、彼女はトム・フォードの片腕としてグッチグループでイメージディレクターとして働いていました。
初めて会ったのに、なぜかずっと前から知り合いのような、まるで彼女といると彼女が私を守ってくれているような、まるでマリア様のようなちょっと超越した雰囲気を、初めて会った時から感じていました。

トム・フォードとともにグッチグループを去ってからの彼女の人生は、まるで夢のようだったかもしれません。
発端は、同じグッチグループで働いていた夫との間に子供ができないことから始まりました。それをきっかけに夫との関係が難しくなってしまったのです。
そこで普通は離婚ですが、なんと彼らは離婚とは180度違った道を選んだのです。
お互いに仕事を辞めて、一緒にインドにヨガの修行に3ヶ月、アルゼンチンでタンゴのレッスンのために3ヶ月、というような生活を始めたのです。
もちろんその後の二人の関係は、誰が見ても羨むような素晴らしいカップルにまた戻りました。
その後の彼らの生活はヨガが基本です。カレンはヨガウエアのブランドもスタート。

カレンのブランドのイメージビデオ

フローレンスのヴィラで、 1週間の滞在型ヨガトリートのプランを始めたのは、私が知る限り彼女が始めてでした。

 
  • 1
  • 2