本と図書館の叡智が、時に人生を救ってくれる
図書館の「大きな歴史」を過去から、何者でもない女性の「小さな歴史」を現代から、それぞれ描いてゆき、両者を太平洋戦争終戦で出合わせる――物語をそうした構成にしたのは、明治維新から令和元年まで約150年のほぼ真ん中に、終戦があると気づいたからだったそうです。
「帝国から民主国家へ、日本の政治体制は戦争終結でガラリと変わっています。でも古い時代がまるまる“古臭い時代”だったかと言えば、そうではなかった。例えば富国強兵を目指す明治政府は、国威発揚――つまり世界に『日本はスゴイ!アピール』をするために、何度も博覧会を開催しています。もちろんそれも悪くはないけれど、そればかりが優先され図書館の予算は削られてきました。そういう状況は現代においても同じで、東京オリンピックや大阪万博に大金を費やしても、教育や福祉などはおざなりにされがちですよね。高校の国語の教科書から小説がなくなるとか、国立大学から文学部がなくなるとか、今の教育行政が「教養」ではなく「実務」ばかりに向いているのにも通じるものがあります。ただ明治時代には、そんな中で図書館死守に奔走した人たちがいた。今の時代は、その遺産があるから成り立っていると思うんです」
時代の流れの中で形を変えながら、でも時代を超えて、本と図書館が与えてくれるものは何か。公開中の映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の中に、その答えの手がかり見つけたと中島さんは言います。
「移民のための英語教室、学童保育、起業セミナー、貧しい人のためのPC教室と、音楽演奏会、インターネットの提供……NYの公共図書館って、本当に何もかもやっているんですよ。つまり、あらゆる人が自分を作っていくために、様々な叡智を取り揃え、差別なく提供する場所――それが図書館だという理念があるんです。喜和子さんは本当に辛い時代を、本によって救われた人なんです。本とその集積場所である図書館って、本当にすごく大切なもの。図書館の歴史を学ぶ中でも、私自身が本を読むことでもそう感じます」
<新刊紹介>
『夢見る帝国図書館』
著者 中島 京子 文藝春秋 1850円(税別)
「図書館が主人公の小説を書いてみるっていうのはどう?」
作家の〈わたし〉は年上の友人・喜和子さんにそう提案され、帝国図書館の歴史をひもとく小説を書き始める。もし、図書館に心があったなら――資金難に悩まされながら必至に蔵書を増やし守ろうとする司書たち(のちに永井荷風の父となる久一郎もその一人)の悪戦苦闘を、読書に通ってくる樋口一葉の可憐な佇まいを、友との決別の場に図書館を選んだ宮沢賢治の哀しみを、関東大震災を、避けがたく迫ってくる戦争の気配を、どう見守ってきたのか。
日本で最初の図書館をめぐるエピソードを綴るいっぽう、わたしは、敗戦直後に上野で子供時代を過ごし「図書館に住んでるみたいなもんだったんだから」と言う喜和子さんの人生に隠された秘密をたどってゆくことになる。
喜和子さんの「元愛人」だという怒りっぽくて涙もろい大学教授や、下宿人だった元藝大生、行きつけだった古本屋などと共に思い出を語り合い、喜和子さんが少女の頃に一度だけ読んで探していたという幻の絵本「としょかんのこじ」を探すうち、帝国図書館と喜和子さんの物語はわたしの中で分かち難く結びついていく……。
知的好奇心とユーモアと、何より本への愛情にあふれる、すべての本好きに贈る物語!
試し読みはこちらから>>
撮影・構成/川端里恵(編集部)
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