世界のライフスタイルを“旅”のフィルターで読み解くトラベルカルチャーマガジンTRANSIT。43号では、世界一高いエベレストを有するネパールを取り上げました。ここではネパールの魅力のひとつである山を、それに魅せられた登山家の視点から掘り下げていきます。後半には、ヒマラヤの世界をより深く味わうためのブックガイドも。
エベレストはなぜ、登山家を惹きつけるのか
大学3年生、20歳という若さでエベレストの山頂を踏んだ伊藤伴。国際山岳ガイドである近藤謙司氏に憧れ、国内外の山を転戦してきた。そんな伊藤さんに、ネパールの山について聞いた。
少年がエベレストを目指すまで。
「最初に山に触れたのは小学校のとき。学校の先生が海外へ登山に行くほどの山好きで、登った山の話を聞いているうちに興味をもつようになりました。その先生かがガイドを依頼していたのが、登山ツアー会社であるアドベンチャーガイズを主宰する近藤謙司さんだったんです」
次第に、いつか自分も登ってみたいと思うようになり、アドベンチャー・ガイズの扉を叩く。机上講習からスタートし、国内の山で経験を積み、みるみるうちにクライミングの技術も磨いた。
「7大陸最高峰=セブンサミッツの制覇に憧れていたんです。まずは当時ヨーロッパ最高峰だったモンブラン(4810m)に近藤さんと挑戦しました。中学3年生のときですね。でも下山してみると、セブンサミッツよりも、もっと標高のある山に行きたいと思うようになりました。そこでヒマラヤのロブチェ・イースト(6119m)を目指すため、3年間資金を貯めて準備をしました」
はじめてのヒマラヤはかなり苦い思い出。高山病、長期遠征でやられるメンタル……。ガイドの近藤さんに引っ張ってもらい登頂できたのだそうだ。
「山頂は快晴無風。目の前にエベレストが見えました。ロブチェを登るチームはエベレスト登山の高度順応も兼ねています。なので、自分と数名以外はこれからエベレストに行く人たち。僕はここから帰らなければならない、羨ましいという気持ちでした」
今度はエベレストに登りたい、その一心で資金集めをはじめる。アルバイトに加え、大学の協力による募金活動、寄付、クラウドファンディングも行った。出発のギリギリ2カ月前に目標の金額を達成、ついに小学校のときに憧れたエベレスト遠征が叶った。
「ベースキャンプから少しずつ高度を上げていって、標高7900mのキャンプ4からアタックをしました。標高差1000 mを一気に登るだけでもきついのに、気温はマイナス20~30度。風速も20m くらいあるので、体感的にはマイナス50度ほど。低酸素ということもあって身体が発熱してくれないのでただただ寒かったです」
でも、それより問題だったのは酸素マスク。登っているうちに苦しくなり、8400m付近のバルコニーで酸素ボンベを交換しても苦しいままだった。
「酸素量を全開にしてもダメで……。山頂直下のヒラリーステップを越えて最後の稜線に出たときにはまったく息ができなくなっていました。マスクが壊れたと思っていたんです。マスクを外して2歩ほど進んだのですが、膝からガクンと崩れ落ちてしまいました。やばい、死ぬと。しかも最後の数mはフィックスロープがありません。ほんの5歩くらいですが、シェルパに繫いでもらってなんとか山頂まで上がることができました」
マスクを調べてもらうと息が氷になって塞いでいた。直して呼吸ができるようになり、ようやく登頂を実感できた。
「これ以上高い所は地球上にない、これ以上高い所に登らなくていいんだというのが正直な感想でした(笑)。見渡すと、ヒマラヤの山々がずーっと地平線までつづいていて、チベット側は茶色い高原。その景色はきっと100年以上も前から変わらないはず。初登頂したエドモンド・ヒラリーと同じ景色を見たのだと思うと感慨深かったです」
エベレスト登頂後とこれから。
「キャンプ4まで降りてきたときに日本に電話したら『伴! ニュースに載ってるぞー!最年少らしい!』と。でもそのまま僕はローツェに向かっていて、その間に別の登山隊に参加していた南谷真鈴さんが登頂、降りてきたらもう最年少ではなくなっていました(笑)」
日本人最年少サミッターとして記録に残っていたのはほんの3日だけ。以前の記録を持っていた山村武史氏よりも誕生日が遅かったため、幸運にも更新できたものだった。とはいえ、記録の更新は大きく報道され、広く知られることになった。そんな伊藤氏は、大学の卒業を控え、山岳ガイドの腕を磨いている。
「まだまだ自分自身の技量を高めるというのが目先の目標です。いつになるかわかりませんが、もしまたエベレストに行くのであれば、ガイドとしてお客さんを連れて行きたいですね。山に登るきっかけをつくってくれた近藤さんのように、山頂を目指す感動的な体験を伝えたくて。僕自身、10代、20代、30代と歳を重ねていくと、感じることも変わってくると思います。同じヒマラヤでも、次はどんな体験ができるのかはまだわかりません」
- 1
- 2
Comment