ミドルエイジ世代のカリスマ的存在として活躍していた最中、希少がんを発症し、闘病の末に旅立ったモデルの雅子さん。その夫である大岡大介さんが製作した、雅子さんの半生を綴った映画『モデル 雅子 を追う旅』が、現在アップリンク吉祥寺を皮切りに全国で順次公開中です。白澤さんは、雅子さん、大岡さんご夫婦と生前から家族ぐるみの付き合いをされていました。そこで今回、お二人の対談が連載の番外編として実現。映画を通してあらためて雅子さんという女性を見つめ、感じたこと、考えさせられこと―。気心の知れた二人だけに、その言葉は胸の奥深くに染み入るものがありました。

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大岡大介
1971年生まれ。本業はTBSの番組プロデューサーで、かつて同社で『ハンニバル』(01年)や『バイオハザード』(02年)の共同事業、『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』(03年)、『アフタースクール』(08年)といった邦画製作に携わっていた。今年、『モデル 雅子 を追う旅』で映画監督デビュー。

 


「日常を大切にする」ことを
教えてくれたのは雅子さん


白澤 私たちが結婚してすぐお二人も結婚されたから、よくダブルデートしたよね。すごく懐かしい。一緒にオムライスの店に並んだり……。

大岡 浅草のヨシカミね! それから表参道の地中海料理も食べに行ったし、代々木のベトナムフェスも行ったし。貴子ちゃん夫婦に子供が産まれたときも会いに行ったよね。雅子さん「はあ〜、かわいい♥」って、ずっと赤ちゃんを見ていて離れなかった。

白澤 お二人が新居を買ったときは、私たちがお邪魔させてもらったよね。雅子さんが「屋上でオリーブを育てているんだ」って。

大岡 あの木、あのときはまだ小さかったけど、すっかり育ちましたよ。それで二人で渋抜きも研究して食べていたんだけど。

白澤 私としては、もともとは雅子さんに「生活感の匂わない完璧なモデルさん」というイメージがあったの。でも実際知り合ってみると、すごく日々の暮らしを丁寧にされている人だ、ということが節々で見えてきて。オリーブをただ育てるだけじゃなく、渋抜きを研究していたこともそうなんだけど、他にも身の周りのひとつひとつのモノを大切に扱っていることに誇りを感じて。当時私はまだ20代だったから、日常を丁寧に生きることなんて重要視したことがなくって。でも雅子さんを見て「素敵な大人ってこういうことなんだ」と気づいたの。20代の私には新鮮だったなあ。

大岡 印象的だったのは、彼女はドレスとか全然持っていなくて。モデルだし、「パーティーとか呼ばれたらどうするの?」と聞いたら、「借りればいいし」って。

白澤 ブランドや装飾品で身を固めなくていいのは、ありのままの自分に誇りがあるからだよね。フランスにはそういう女性がいっぱいいるの。雅子さんと知り合ったのは、私がフランス留学から帰ってきて数年経った頃だったんだけど、その頃の私はすっかり日本の感覚に戻り始めていた頃だったから、日本にもこういう女性がいたんだ!と衝撃を受けたのを覚えている。

大岡 初めて彼女の家に行ったときの感想は「風通しのいい部屋だなあ」だった(笑)。

白澤 色々なことがミニマムだったよね。

大岡 ただ自分の好きなものは溜め込んだりするところもあって。泊まったホテルの便箋をチェストにぎゅうぎゅうに詰めているんだけど、詰め込みすぎて押されて全部ダメになっていたという(笑)。

白澤 雅子さんらしいなあ。

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映画を作ることで
二人は親友になったと感じた


白澤 もともと大岡くんは映画が作りたかったんだよね? この映画を作り上げるには想像を絶する大変さがあったと思う。でも、誤解を恐れず率直に言ってしまうと、今の大岡くんは、イキイキしているというか、自信に満ちている印象を受けるの。

大岡 でもそれはたしかにある。

白澤 雅子さんと知り合ったばかりの大岡くんはどちらかというと、雅子さんの後ろを追いかけて「雅子さん、雅子さん」と言っている印象だったの。

大岡 その通り(笑)。

白澤 映画の中で触れていたけど、雅子さんと交わした3つの約束の中に「親友になる」というものがあったじゃない? 親友ってどっちが上でも下でもない、対等なものだと思うのね。前は大岡くんが雅子さんの視線の先にあるものを見ようと後ろから一生懸命覗き込みながら「へえ〜」「なるほど〜」というスタンスだったのが、今なら雅子さんと対等に意見をぶつけられるんじゃないかと感じて。この映画が二人を本当の意味で親友にしたように感じたの。


大岡 本当にそうかもしれない。彼女は7歳上だし、僕が中高生の頃には既に憧れていたテレビCMに出ていて、というところからスタートして、しかも映画のこともよく知っている。教養とか人生経験が背中から透けて見えているような人で、僕自身、どこか常に「追いつきたいな」と思っていたんだよね。でも僕が映画の感想をブログに書いていたら、雅子さんが「私はそんなふうな見方をしたことがなかった、すごいよね」と言ってくれたこともあって。僕には僕のフィールドがあって、それを積み上げていけばいいんだと、ちょっとずつ思えるようにもなっていったんだよね。

白澤 それが親友としてのスタートだったんだね。

大岡 うーん、同じ場所に立ったという意味で言うと、彼女が病気をして、看病をし始めた頃からかもしれない。病気をすると、どっちが上だの下だの言ってられなくなるのね。お互いに「痛いところはここ」「できることはこれ」と全部言い合わないとどうにもならないので。たとえば僕がサラダを作って持っていって「どうよ」「悪くないね」なんて言いながら食べてもらったりして。そんなとき、共に打ち勝たなければいけない目標があって、そこに向かって肩を組んで進んで行っている、というような実感を得られていたかなあ。それは今も変わってなくて、一緒に肩を並べて生きている感じはしているんです。

白澤 映画を見て、そういうふうに感じた。映画のタイトルだけ見ると、大切な人の死をどう乗り越えていくか、という話で完結しているのかなと予想していたの。でも全然そうじゃなくて、もっとポジティブというか。

大岡 そうそう、ポジティブでしょ?

白澤 私ね、なぜか分からないけど1年に1回くらい、死について考えさせられる出来事に直面するの。親友が急死してしまったり……。そのたびに、人は遅かれ早かれ死んでしまう、だから短い人生を嘆くことより、限りある時間をどれだけ全うできるかが大事なのかもしれない、と感じたりしていたのね。大切な人の死を目の前にすることはあまりにも辛いことだけど、残された者としてその人の生き様をきちんとひとつずつ拾い集めるってとても大切だと、この映画を観て改めて思った。私も時間がかかっても逃げずに受け入れられるようになろうって。そういう意味でもポジティブさを感じたな。
 

彼女の香りを思い出せない…全身が震えた
 

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雅子さんが登場する雑誌のページを、デビュー当時から年代ごとに切り抜き、スクラップしていく作業を延々とおこなった。自宅でのひとコマ。

大岡 でもこの映画を作ろうと思うまでにたくさんの葛藤があったかというと、実は全然なくて。

白澤 えー、なかったの!? 「もう作らなきゃ!」みたいな感じだったの?

大岡 作らなきゃというより「あ、作ろう!」みたいな。お葬式の準備をする中で彼女の持ち物をいろいろ調べていたら、彼女が出たCMを録画したテープとかポスターとか出てきて、「うわー、僕は彼女を何も知らなかった、ヤバい!」と。そうすると、モデル雅子を知っている人に話を聞いていきたいな、と好奇心が湧くでしょ。

白澤 それがきっかけだったんだ。

大岡 もう1つは、お葬式の準備に忙殺されているとき、ふと「雅子さんの香りってどんなだったっけ?」と思い出せない瞬間があって。そのとき「忘れたくない!!」と全身震えるぐらいの恐怖がやってきたんだよね。そういうことが積み重なって、どうにかして雅子さんの姿を追いかけていこうと思って。それを姉に話したら「映像の仕事をしているんだから、映画にまとめたらええやん」と言われて、その瞬間「そうしよう」と思ったわけ。だからお葬式のときに「モデル雅子という女性がいたことを、伝えていく役目を果たさせてください」と挨拶させてもらったけど、そのときすでに自分の中では映画を作ろうと固まっていたんだよね。

白澤 あの時点でもう決めていたんだ! それから4年半、ずっと走り続けてきたわけだね。

大岡 まあ、淡々と走ったり、泣きながら走ったり。その繰り返しで来た感じかな。

白澤 今、ようやく完成して公開に至って、フッと張り詰めていた糸が切れたりはしていないの?

大岡 実はそういう実感があまりなくて。やっと封切りした、お客さんがいっぱい来てくれた、やったー! みたいな気持ちになるのかと想像していたんだけど、けっこう淡々としているというか、「何か終わらないな〜」という感じ。観てくれた人が「良かった」と言ってくれても、次はこれをやらなきゃ、その次は……みたいな感じで、達成感とか節目感とかはまだなんだよね。

 
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