典型的なファーストチャイルド
小和田一家は、アメリカのボストンで生活することになりました。住まいがあるのは、ボストンの中心街から近距離電車で20分ほどの芝生と緑の木々に囲まれた静かな街、ベルモントです。
雅子さんが9月に編入したのは、マサチューセッツ州立ベルモント・ハイスクールの2年でした。渡米したのが高校1年の夏休み。アメリカでは学年の切り替えの時期でしたが、日本から行った雅子さんは高校1年の1学期を終わらせただけだったのですから、本来なら1年に編入するはずです。
ところが、雅子さんはいわば「飛び級」という形で、いきなり高校2年からスタートしたのです。
ベルモント・ハイスクールの教師リリアン・キャッツ先生はこう言います。
「最初は1年間、英語を母国語としない外国人クラス(ESL English as a second language)で雅子さんを担当しました。優秀な生徒で、能力別にクラス分けしても、雅子さんは私がすすめたクラスより一段階上のレベルにチャレンジし、みごとについてきました」
キャッツ先生は、ベルモント・ハイスクールの外国人クラス(ELS)で、雅子さんと双子の妹の礼子さんと節子さんにも英語を教えました。
「双子の妹たちも大変かわいらしく、大好きな生徒でした。雅子さんは、とても自立心に富んだファーストチャイルド(第一子)です。アメリカでは、ファーストチャイルドは何でも自分で決め、自分に厳しく、望むものは確実に手に入れる、自立心の強い性格になるといわれています。雅子さんは、まさしくその典型でしたよ」
ニックネームは「ブレイン」または「ハードワーカー・マサコ」
父の恆さんも、外交官としての仕事と同時に、ハーバード大学で国際法の授業を持っているために、下調べをしなければなりません。このころは、一家そろって必死に勉強した時期でした。
礼子さんと節子さんは、中学1年生です。母の優美子さんがつきっきりで妹たちの歴史の勉強を見てあげていると、父も抗議の下調べをしています。雅子さんも、そんな親たちを見ながら勉強に明け暮れました。
当時の雅子さんのニックネームは「ブレイン(頭脳)」。またの名を「ハードワーカー(勉強家)・マサコ」と呼ばれていました。入学して間もなく、地元の新聞ベルモント・ヘラルド紙の「ベルモント・ハイスクール成績優秀者」の掲載欄に載り、それからのちは常に「マサコ・オワダ」の名前がありました。
十代は、若く環境に順応しやすいころです。
やがてベルモント・ハイスクールでもソフトボールを始めた雅子さんは、代表チームのレギュラーメンバーとして対抗試合に出場するようになります。ポジションはセカンドで、四番打者でした。
ある日、恆さんが地元の新聞を見ていると、
「スラッガー・マサコがヒットを打って、ベルモント・ハイスクールが試合に勝った」
と三段抜きで出ていて、ほんとうに驚いたといいます。
学校でも最優等生で「ナショナル・オナー・ソサエティ」に選ばれ、第二語学のドイツ語でも「ドイツ総領事賞」「ゲーテ・インスティテュート賞」を受賞しています。
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