子どもたちの意見を取り入れることで「自分が社会を変えていける」という感覚を養っていく、子どもの権利について教える、人種や宗教にかかわらず誰もが平等であることを繰り返し伝える、etc.……。性別や国籍などでカテゴリ化してものを語らない、なども素晴らしいです。そして、思う存分遊ぶのが子どもの仕事! といった考えで、早期教育はしない。ここも教育過熱が加速するシンガポールとは違い、個人的には魅力を感じました。

 

また、スウェーデン人にも専業主婦願望はあるものの、役所で専業主婦は「失業者」扱い。「夫の稼ぎがあるから」ということが説明として理解されない、という記述も新鮮でした。個々人がそれぞれに生活を保障されるということが浸透している社会なのだろうなと思います。

 

著者がママ友グループに入れないと思っていたら、ママ友グループがそもそも存在しないことを発見したというエピソードもでてきました。日本の地域社会や学校周辺には父親は会社に行っている前提で母子のみで成り立っている領域があり、私は日本がいまだに「専業主婦前提社会」だと論じています。対してスウェーデンでは、ママたちが育児で一番に頼りにし相談しているのはパパ。ゆえにママ同士でつるむ必要がないということのようです。

フレキシブルに何度かに分けて取ることもできる育休、そして子供が急な病気になった時の看護休暇。学期途中に1週間バカンスに出かけてしまう先生がいれば、育休中に大学に通うことも珍しくない……。こういったスウェーデンの働き方が羨ましい反面、この本では単純に北欧礼賛ではなく、宅配システムや医療環境など、日本のほうがはるかに良さそうと思う側面もあますところなく述べられています。

でもそういった消費者側の我慢があるからこそ、働き手側が早く家に帰り、きちんと休めるということも指摘されている。日本の在り方を改めて考えさせられます。

前回記事「母たるもの、「子どもに疲れた姿を見せてはいけない」?」はこちら>>

 
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