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雅子さま、40倍の難関試験に一発合格「外交官を目指した理由と憧れの先輩」

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勉強とサークル活動に打ち込んだ大学生活


大学では「日本文化協会」の会長を務めるなど、サークル活動も積極的にこなします。勉強のほうも「ハードワーカー」というニックネームにふさわしい成績を修めました。
「大学時代の彼女は、日本の貿易摩擦を自分の責任のように悩み、考えていました。学問では自己主張がありましたが、プライベートでは控えめな日本女性という印象でしたね」
当時のベストセラー『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(TBSブリタニカ)の著者であるハーバード大学のエズラ・ボーゲル教授は、教え子の雅子さんについてこう振り返っています。

雅子さんのハーバード大学での専攻は、数理経済学です。数理経済学とは、コンピュータを駆使する難しいテクニックを必要とする学問です。
数理経済学を学んだ雅子さんの卒業論文は、「輸入価格ショックへの対外調整――日本の石油貿易」というもの。1970年代のオイルショックが、日本の貿易に与える影響を論じています。
指導教官のジェフリー・D・サックス教授は「経済学部の優秀な生徒でした」といいます。その言葉通り、雅子さんは卒業時には、成績上位15パーセントの者だけに与えられる栄誉学位「マグナ・クム・ラウデ」(ラテン語で「成績優秀者」の意)を授与されています。

雅子さんがハーバード大学を卒業したのは、昭和60年(1985年)のことです。雅子さんは21歳を迎えていました。

ハーバード大学の卒業式にて。写真/宮内庁提供

大学を卒業するにあたって、父の恆さんは、
「アメリカに残って法律の勉強をしたらどうか」
と、雅子さんにすすめました。
けれども雅子さんは、
「このままでは、根なし草になっちゃうわ」
と言って、帰国を決めたといいます。

小和田家の人々は、すでにモスクワから帰国して渋谷区広尾の外務省官舎に住んでいました。雅子さんは家族の待つ家に帰ってきたのです。
「オワがふっくらと女性らしくなっていて、驚きました」
久々に雅子さんと再会した田園調布雙葉学園時代のソフトボール部の友人は、こんな感想を持ちました。

外交官上級試験に一発で合格


昭和61年(1986年)4月、雅子さんは東京大学法学部3年に学士入学します。そして同じ年の10月、外務省一種の試験に1回で合格。競争率はなんと40倍の超難関試験でした。
外務省の試験を受けるにあたって、父の恆さんはとくに賛成も反対もしませんでした。ただ、「外交官試験はそれほど簡単なものではないから、もし不合格なら新卒ではないから、就職が難しくなる」と話しました。

外交官試験の科目は、憲法や国際法など法律関係がかなりの分野を占めますが、雅子さんはアメリカでは経済学を専攻していたため、法律に関してはあまり学んでいません。
経済学もアメリカで学んだのですから、専門用語も英語であり、日本語では覚えていないのです。雅子さんは日本語の教科書を何度も読み直して、外交官試験のための準備をしたといいます。

外交官試験の正式名は、「外務公務員採用一種(上級)試験」です。父娘の一種試験合格者は珍しく、「史上2組目の父娘2代の外交官誕生」として新聞各紙の夕刊の社会面に紹介記事が載ったほどでした。

外交官試験終了日に大学の同僚と打ち上げを。写真/宮内庁提供

そのころ、雅子さんは東京大学法学部の地下食堂で友人とこんな会話をしています。
「海外赴任には、黙ってついてきてくれる人でないとだめね。夫が芸術家でもないと、仕事と結婚の両立は難しそう」
と、友人が冗談めかします。
「今は仕事に打ち込みたいの。結婚の予定はないし、両立のことは考えていないわ」
雅子さんは笑ってこう答えたといいます。

昭和62年(1987年)4月、外務省入省。「父のあとを追って国際舞台で働きたい」という希望がかなった雅子さんでした。

外務省職員としての出張先でハーバード大学時代の友人と再会。写真/宮内庁提供

やがて、恆さんと雅子さんは、東京・元赤坂の東宮御所(とうぐうごしょ 現・赤坂御所)で催されたスペインのエレナ王女を歓迎する皇室主催のレセプションに、「父娘2代の外交官」として招かれることになります。

その席上で、雅子さまは皇太子浩宮さまと運命の出会いを果たすのです。

 

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外交官だった小和田雅子さんは、皇太子・浩宮さまに見初められて皇室に入ることに。雅子さまの生い立ちやから皇太子の熱い求愛、ご成婚までの軌跡が余すところなく盛り込まれた作品。雅子さまと同じく、平民から皇室に入られた美智子さまのお姿を交えて描きます。

 

 

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本文、キャプションは過去の資料をあたり、
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)

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第2回「 雅子さまがロシア語を話せる理由〜モスクワでの幼少生活 」はこちら>>
第3回「 雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」 」はこちら>>
第4回「 スポーツ万能の雅子さま「中学時代に熱中したソフトボールとスキー」 」はこちら>>
第5回「ニックネームは「ブレイン(頭脳)」。ハーバード大学で磨きをかける雅子さま」はこちら>>
第6回「雅子さまと美智子さま、二人のプリンセスを育てた名門・雙葉学園の教えとは?」はこちら>>

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