結婚とは“対象”を選ぶことではなく
自らの“生き方”を選ぶこと

 

岸見 「結婚していいことなんかない」と言う言葉をよく聞きますが、私の娘は「結婚していいことしかない」と言います。そして、私の前でそう言っている娘を見て、私はすごく幸せだと感じる。結婚にはそういう面があります。
決して結婚という形式でなくとも、二人で生きていくということには、そういう喜びとか良さがあるということを是非知ってほしいと思っています。

小林 結婚でなくても、共に生きるパートナーや彼氏でもいい、ということですよね。結婚とは“対象”を選ぶことではなく自らの“生き方”を選ぶこと、というアドラーの考え方が、私の中でとてもしっくりきたというか、好きなんです。
「こんな人を選ぼう」と考えていると、それは難しいですよね。「もっといい人」はきっといますから。でもその人と結ばれたところで幸せになれるかというと、それは分からない。だから“対象”探しをするのではなく、“生き方”選びをすることが大切だ、と。
私は去年、夫にプロポーズをしてもらったとき、「二人で生きていこう、この人と生きていきたい」という“生き方”を選べた。それは何年か前に『幸せになる勇気』を読んでいたからこそ。持つことができた勇気の一つでもあるんです。

岸見 自らの生き方を選ぶなら、“対象”は誰でもいい。……と言ったら語弊があるのですが。

小林 アドラー的には、いかなる人も愛することができるんですよね(笑)。

岸見 “生き方”を選ぶと、条件をつけて相手を探していたときと比べて明らかに見方が変わります。だから自分の生き方が変わり……、つまり自分中心の考え方から脱却し、一人の人生ではなくて二人の人生を歩もうと決心したときに、不思議とそういう人が現れるのです。
“対象”選びをするときというのは、好条件の人を選ぶわけです。今は死語ですけど、かつては“三高”なんて言葉もありましたし。
そのように対人関係の築き方が根本的に間違っていると、相手が誰であっても行き詰まります。

小林 はい、私も“生き方”が変わってきたなと思えた頃に、夫に出会えました。ただ先生は、著書の中で「運命の人はいない」と書かれていました。

岸見 「運命だ」と思って結婚した人は、「運命だと信じること」を決意しただけなのです。そういう意味では、どの人も運命の人なのです。私は13年前に大きな病気をしましたが、もしあのとき死んでいたら、こうして小林さんと出会うこともなかった。つまり、どんな出会いも奇跡であり、今日会えることがもうすでに運命なのです。

小林 だけど「運命の人に出会いたい」と待っている女性は多いですよね。私もそうでしたけど。

岸見 愛されることを願う人の中には、運命の人に幸せにしてほしい、と思う人もいます。あるいは、どちらかというと対人関係を回避するための理由として言う人も多い。「運命の人ではない」と。でもその運命もまた自分が築き上げるものだとしたら、随分考え方が変わってきませんか?

小林 本当にそうですね。

岸見 ちょっと話が逸れるのですが、『アリーテ姫の冒険』という絵本があります。アリーテという名前のお姫様が主人公なのですが、彼女のお父さんは彼女にひどく困惑します。「大変だ、この子は賢い。この子は結婚できないぞ」と。
これは、かわいく振る舞ったり愛されることを願っている人には白馬の王子様が現れて結婚できるけれど、自分で考えているアリーテ姫には王子は現れずなかなか結婚に到達できない、ということ。つまり、アリーテ姫には運命などないのです。あるとしても、自分で切り開いていかなければならない。そういうふうに考える女性は、まだ多くはない気がします。

小林 ギクッ! 私もまさに白馬の王子を待っていました!

 

 

私たちが身につけなくてはいけないのは
“愛される技術”ではなく“愛する技術”


岸見 しかし小林さんは自らの“生き方”を選択し、愛する勇気を持てた。3年前にお会いしたときはまだ、「愛する勇気が持てないのかも」とおっしゃっていましたよね。

小林 先生の著書で『嫌われる勇気』の次の本、『幸せになる勇気』を読んで、これまで私は愛されるために努力はしてきたつもりだけど、私がしなくてはいけないことは愛する勇気を持つことだったんだ!と。そこに気づいたときの衝撃といったら……。

岸見 アドラーが一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち「他者を愛する技術」でした。

小林 「大事なのは愛する勇気だ」と聞いて、「え!?」と。今まで“愛されるための15の法則”とか、愛される技術は教えてもらってきましたが、“愛する技術”と言われると「何それ!?」と。初めてそう思えたことで、そこから“対象”が変わったというより、結婚に対する考え方が変わり始めたと思うんですよね。

岸見 どのように変わられたんですか?

小林 「愛されたい」を、卒業したいと思いました(笑)
小さい頃は生存のために愛されることが必要ですが、あくまでそれは小さい頃で終わらなくてはいけないもの。なのに私はいつまでやってるんだろう、という感じで。
自分としては、働いてもいるし、誰かの力を借りて生きていかなければならないわけではなかったので、自立していると思っていたんです。でも、いやいや、全然精神的に自立できていなかったんだ、自分から能動的に愛する努力をして初めて自立なんだ、と気づいたんですよね。今まではずっと受動だったんです。そこが変わったのは、大きかったです。

岸見 愛される技術と愛する技術は、全く意味が違いますからね。これは子供の成長を見るとよく分かります。私もおじいちゃんになってしまいまして、もうすぐ2歳になる孫がいます。
赤ちゃんの頃というのはとにかく与えられるばかりです。でもある頃から、考えが変わります。たとえば孫はまわりの大人が与える食べ物を喜んで食べるのですが、ある時期からまわりの大人に与えるようになります。「どうぞ」と言って。つまり、自分に与えられたものをまわりにも分ち与えるようになる。もう少し大きな子供になると、親に手紙を書いたり、何かをプレゼントしたいと思ったりするようにもなります。つまり、愛されていた状態から一歩踏み込み、愛することを学び始めるのです。

しかし多くの子供は、そのように与えることをしないまま大人になってしまう。精神的に未熟というと言葉が良くないですけど、子供のまま大人になった人が多いように思われます。本当は、どこかで変えていかないといけない。愛されることから愛することへ……。


撮影/目黒智子
ヘアメイク/斉藤誠
スタイリング/室井由美子
取材・文/山本奈緒子
構成/片岡千晶(編集部)

前回記事「【小林麻耶さんの似合う服探し】思い込みを捨てて着て、変わったファッション観」はこちら>>

 
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