二人の共同体である結婚、良くするのも壊すのも“私”
岸見 考え方を変えていかなくてはいけないですね、「今こそ私でなくては」と言えるような考え方に。
アドラーは「共同体」という言葉を使うんですけど、共同体というのは会社や学校といった組織だけでなく、二人の関係も共同体です。
組織というのは時間的にすでにそこに在るもの。そこに後から自分が入ることで邪魔をしてはいけない、と多くの人は思いがちですが、“私”が入ることですでに組織は変わっているのです。それくらいの影響力を人は持っているのです。
これが二人の共同体だと、もっとハッキリしますよね。二人が出会う前は、私とアナタの共同体はなかったわけですから。初めて二人の人生を始めるということは、二人で共同体を作っていくということ。それを「私でなくても」と言うのは、そもそもおかしいのです。
私とアナタの共同体は、“私”でなくては作れないものですから。そういう意味では小林さんは、「一緒に共同体を作っていきましょう」という決心がついたのでしょう。
小林 本当ですね、今言われるとおかしな話ですね。彼は私との共同体を作りたいと言ってくれているのに、「いやいや、他の人と」と断るなんて。あ〜、良かった、すぐに気づけて。
岸見 小林さんと夫との共同体は、これから自分たちで築いていかないといけない。それを良くするのも悪くするのも自分たち次第。その過程がまた面白いのです。
小林 そうですよね。先生が以前に、「お花の水やり」の話をしてくださったことがありましたよね。すごく印象的でした。
植物をずっと育てていくためには水やりをするという責任が必ずある。結婚生活とか、誰かと一緒に過ごしていくことも同じで、水をやって育てていく責任がある、と。今日は私が水やりしたから明日はアナタがやってよ、ということではなくて、この植物を二人で育てるためには自分にも責任がある、という考え方が、今の私の心の奥底にはいつもバイブルとしてあるんです。
岸見 関係を良くすることは努力ではありますが、喜びとしての努力です。花だって、義務感で水をやるわけじゃないでしょう? 花に水をやること自体が、もう既に喜びである。そんな感じです。
小林 “私たち”という二人の関係を良くするためにやっていることだから、全てが喜びです。努力というとちょっと辛そうに感じるかもしれないですけど、全くそんなことはなくて、すごく楽しいですね。
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