タレントの小林麻耶さんが、読者の方と「ほっとできる時間」を共有したい、そんな気持ちでお送りする連載です。

アドラー心理学の教えを分かりやすく綴った大ヒット本『嫌われる勇気』。このシリーズをバイブルとしている小林麻耶さんと、著者の岸見一郎先生の対談をお届けします。
「幸せになるには時として嫌われる勇気を持つことも必要」、とアドラーは説いていますが、ときに寄せられるネガティブな意見には傷つき落ち込こむこともある、と語る小林麻耶さん。岸見先生に3年ぶりにお会いして、その環境にどう向き合ったかを語ってくれました。

SNSやコメントにつくネガティブな意見への対処法とは?【小林麻耶さん×岸見一郎さん対談】_img0
 

岸見一郎 1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書に『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『人生を変える勇気』(中央公論新社)『よく生きるために働くということ』(KKベストセラーズ)など多数。公式ツイッター:@kishimi 公式インスタグラム:@kishimi 公式HP:https://kishimi.com/
 

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前回対談「「いい相手がいない」「愛されたい」から脱却できた結婚への思考の変え方」はこちら>>

 


幸せになることには実はものすごい勇気がいる


岸見 私が『嫌われる勇気』の完結編である『幸せになる勇気』を出版したとき、小林さんに「このタイトルだけはつけてほしくなかった」と言われたのをよく覚えています。本当にこのタイトルは意味深長で、幸せになるのにどうして勇気が必要なのか?と思われたのでしょう。

小林 はい、考えたこともありませんでした。

岸見 その理由は3つあって、1つは人と関わったら多かれ少なかれ傷つく、だから対人関係の中に入っていくのには勇気がいるからです。でも、前回も話したように、生きる喜びも幸せも対人関係の中でしか得ることはできません。
そうであれば幸せになる勇気と持つということは、対人関係の中に飛び込んでいく勇気である。これが1つです。

もう1つは、人は不幸である、悩んでいる、辛そうにしているとまわりは声をかけてくれますが、幸せになると注目されなくなる。だから幸せになるということは、たくさんの中の一人……、ワンオブゼムになってしまうということであり、共同体の中心にはいられなくなるということだからです。
これが幸せになるのに勇気がいる理由の2つ目です。

小林 「特別でありたい」ということですね。3つ目は……?

岸見 3つ目は、自己中心的な考え方から脱却しなければならないからです。
一人で生きているのであれば、他者のことを考えなくていいのです。気ままに生きていけばいい。でも結婚して二人の人生を始めたら相手がいるわけですから、これまでのようには生きられません。

しかし愛されることだけを期待して生きてきた人は、人のために何かをするということが、既にハードルが高いのです。「この人は私に何をしてくれるか」ではなくて、「この人を愛していこう」、「この人に私は何ができるのか」、そのように考えられるようになるのは、ハードルが高いから避けてしまうのです。
でも、それができなかったら幸せにはなれません。


不幸でいることには目的がある


小林 幸せになりたいとは思っていたものの、幸せになる覚悟は私にはなかったので、「幸せになる勇気」は直視したくないテーマでした。幸せになる勇気、必要かな?と。

岸見 「私が幸せになっていいの? 幸せになる資格があるの?」 と思うことも同じですね。

小林 おっしゃる通りです。自分には何かが欠けていると思う方が安心する時期がありました。結婚したいけど結婚出来ない、幸せになる前の、幸せに「なりたい」という状態が楽というか……。

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岸見 一般的な話で言うと、不登校の子どもの親は不幸な生き方を選ぶことが多いです。そうするとまわりはすごく気を遣うことになります。

「おたくも大変ね、子どもさんが長く学校に行ってないそうですね」
「そうなんです、本当に辛いんです」

と。しかし不登校の子どもに「お父さんお母さんが幸せなほうがいいか、不幸なほうがいいか」と聞くと、「幸せなほうがいい」と即答します。
心優しい彼らは、自分が学校に行ってないことで親に不幸になってほしくはないからです。その話を親に伝えると、親は変わります。幸せになるのです。

小林 なるほど。

岸見 そもそも親が不幸な生き方を選ぶのは目的があって、「私はこの子のせいでこんなに不幸なのだ」と世間にアピールしているのです。そんな親子関係がいいとは思いません。
だから親であるアナタがとにかく幸せになりましょうよ、と言うと、「そうか、私が幸せになっていいんだ」と初めて思う。子どもの人生を生きるのではなく、私の人生を生きればいいのだ、と。

しかし、そうすると、今度は世間が後ろ指を指します。親が明るく元気に幸せになっていたら、「あそこのお母さんは子どもが学校に行ってないのに、なんであんなに能天気なんだ」と。でも世間と子ども、両方に付くことはできません。ではどちらに付くか? 

答えはハッキリしています。子どもと仲良くなればいい。世間に背を背けても、自分が幸せだったらいいのです。こう思えるのも勇気なのです。