人生100年時代の「自分らしい人生」って、どうデザインしていけばいいのでしょう?
そのヒントを探す連載「100年時代のキャリアデザイン」がリニューアル。多様な生き方・働き方を実現する女性専門の人材エージェントWaris(ワリス)共同代表の田中美和さんが、転職や再就職、独立などの「ライフシフト」を経験した女性たちのリアルストーリーを通じて人生100年時代を生き抜くキャリアのヒントをお届けしていきます。 ※文中の氏名は仮名です。
 

 

「今の職場は本当に楽しいです!」とまっすぐな笑顔で話す稲垣美紀さんは今年50歳。とある財団法人へ1月から正社員として転職したばかりです。

 

数年前までは「35歳転職限界説」などというものがまことしやかに囁かれていましたが、圧倒的な労働人口減少に伴う売り手市場が続くなか、以前ほどは年齢による「転職の限界」は薄れているように感じます。一方で年齢を重ねて転職する場合に問われてくるのが「年齢と経験のバランス」。20代~30代前半とは転職で問われるものが異なってきます。

稲垣さんの場合、今回の転職は6回目。もともと短大卒業後に精密機器メーカーに一般職で入社。ただ、なかなか女性としてはキャリアの展望が描きにくい職場だったそう。そこで最初の転職を意識します。

「時代背景もあるのでしょうけれど、保守的で男性優位の職場。女性の昇給昇格は難しく、私は人事で給与関係を担当していたので、同期入社でも男女で明らかに報酬が異なるのを直接見てしまって。性差に関係なく、仕事をまかせてくれる職場を探して最初の転職を決めました」

その後、転職した建設関係の2社目には転籍や出向期間もふくめて20年弱在籍することに。稲垣さんのキャリアの中では最長の在籍期間でした。人事総務担当として勤怠管理、給与計算、社会保険手続き、採用など幅広い業務を経験。このときの経験がベースとなり、その後も稲垣さんは人事をコアスキルに転職をすることになります。

稲垣さんの中で転機になったのは2014年、東日本大震災の復興支援を目的とする非営利組織への転職でした。事業会社から非営利組織への転職は一見、唐突感があるようにも思えますが……?

「実は夫の実家が福島なんです。今でも帰宅困難区域に指定してされている場所で……。そういう縁もあって、当時の勤務先のCSR活動で東北へ行ったり、個人的にも復興支援のボランティアに足を運ぶうちにそこで出会った方々と一緒に仕事をしたいなぁと思うようになって」

団体の創業期ということで、就業規則や人事制度の整備や策定を任され、給与や勤怠のしくみを整備し、やりがいあふれる職場だったといいます。一方で非営利組織ということもあり年収は前職の約3分の1に。覚悟の上での転職だったとはいえ、報酬の激減分を補う意味もあり、約3年間の在籍期間の後半は契約を業務委託契約に切り替えて、リモートワークを交えた自由な働き方に挑戦しつつ会計事務所でのアルバイトも並行して行うなど「パラレルキャリア」を経験しました。

その後、「もう一度、会社員としてちゃんと働きたい」という気持ちで47歳で本格的に転職活動をスタート。ただ、40代後半での転職活動は決して楽な道のりではなかったと振り返ります。

「当時の私は、非営利組織で働いていたので……。一般的な企業の道から外れてしまうと、もう一度そこへ戻るのってすごく難しいんだなぁとつくづく感じました。転職サイトに登録して20~30社くらいは応募してはみたものの、なかなか結果が出ず。もちろん年齢の高さもあったと思います。年収も非営利組織で働くことでだいぶ落ちてしまっていましたし、それを再び上げるのはそれほど簡単なことではありませんでした」

そんななか、私が共同代表を務めるWarisに登録されて見事に転職をされます。これが4度目の転職でした。IPO(株式公開)直後のIT企業で平均年齢28歳の社員に囲まれて労務チーフとして働くことになります。

 
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