当初は、ホスピスを舞台に
死をこぎれいに描こうと思っていた
お母様に続きお父様を、そして年若い友人を失った小川さんは、「死」は特別なことでもなんでもなく、日常生活の延長にあることを実感します。でも病院で亡くなる人が多い今の時代、「死」はなかなか人の目に触れず、だからこそ得体のしれないものにも思われます。それが不安や恐怖の原因ではないか。そう考えた小川さんが作品の舞台に選んだのは、死を迎える人々が集まるホスピスでした。
「当初はホスピスに“死を受け入れた人が穏やかに最後の日々を過ごす場所”というイメージを持っていて、こぎれいに描こうとしていたんです。でもターミナルケア(終末医療)のお仕事をされている病院の先生に話を伺い、それは違うなと。死を前にして、”どうにかして運命から逃れられないか”とジタバタし葛藤し、喜怒哀楽するのが生身の人間。身体は刻々と死に向かっていても、人間は死の瞬間まで人間であることは、母の死を経験してもそれは感じました。こちらが言ったことを理解し感じている、それが身体の反応でわかるんです。『人間は死ぬまで変わることができる』という先生の言葉も、すごく心に触れましたね」
そうした人間の生身の姿を、物語は描いてゆきます。主人公の30代女性・雫はがんで余命1年と宣告され、瀬戸内の島にあるホスピス「ライオンの家」にやってきます。登場する人々の大半はーー雫も含めてーー遅かれ早かれ必ず死を迎える人たちです。これまでの自分の人生を淡々と続ける人、逆にまったく別の人間になろうとする人、自分の死を周囲のせいにして当たり散らす人ーー雫が語る一人称の文章は、そういう彼らを見ながら彼女の中で変化してゆく「死」を描いてゆきます。
「それぞれの人が死を抱え、身体の事情が許さないから、やりたくてもできないことってたくさんあるんですよね。一緒に散歩しましょうなんてことも気軽にはできない。でもそういう中でも、同じ空間で、同じ食べ物を食べ、死を迎えるーーそこにいる先輩がそれを実際に見せてくれることで、雫も不安が和らいでゆくんです。亡くなった人はただ去っていっただけ。でも彼らの”死”そのものにも、何か人に与えるものがある。人の“死”は、それだけですごく価値がある。周りに何かしらの学びや、気づきを与えてくれるのかなと」
母との不毛な戦いも
私の今へと繋がるギフトだった
「なんでお別れせんとあかんのやろなぁ。でも雫ちゃんが病気にならへんかったら、会えへんかった」。もし悲しみ恐れてばかりいたら、人生の光さえ見失ってしまうーー雫の最後の小さな恋の相手、青年タヒチの言葉に、そんなことを思います。それは同時に小川さん自身が感じたことでもあったようです。
「母との不毛な戦いの渦中にいるときは、“なんてひどいことをするんだ”と常に思っていました。でもそういう辛い時間に自分の芯のようなものが作られたから、今こうして物語を書いているし、母がいなければこの物語にもたどり着けなかった。すべてがギフトなんだなと思えるようになりました」
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