体型に自信のある人しか同窓会に来ない疑惑


その後、開催された入社30周年の集いは、都心のレストランが会場でした。少し遅れて到着し、レストランの中をパッと見た瞬間、「年配の人達が集まっているな」という第一印象を得たのですが、よく見てみるとそれが、自分がこれから参加する集団。一人一人と会えば、
「変わってないねー」
と半ば本気で言い合ったりもするのですが、集団として見ると、実年齢が醸し出すくすみ感を隠すことはできません。

ま、そんなもんだわな。……と自分もその中にダイブすれば、いとも容易に溶け込むことができます。

全体的に言うと、激太りしたり激ハゲしたりしていてびっくり、という人は少なかったのでした。同期の女子は、
「こういう会はさ、ある程度自分の体型とかに自信がある人しか来ないんじゃないの?」
と言います。フィットネスブームのせいなのか、腹肉がベルトの上にのしかかるような男子は少なく、割と皆、しゅっとしている。聞けば、ランニングなどをして鍛えている人が多いようですし、
「俺は夜に好きなものを食べたいから、昼は毎日、抜いてるんだよね」
という人も。

しかし腹の引き締まった男子ばかり見ていたら、次第につまらなくなってきたのです。だらしない腹をさすりつつ、
「グェッヘッヘッ」
などと揚げ物をつまみながらビールをあおってこそ、50代ではないのか。そんな腹の男子達に、
「ちょっとは気をつけなよ!」
などと呆れ顔で言うのが、この手の集いの楽しさではないのか。平らな腹をして、彼等は何を望んでいるというのか……。

頭部の老化もまた、さほど目立つ人はいません。男性の薄毛問題が解決されたわけではないものの、薄毛になったなら潔く坊主にするという手段が、有効活用されているのです。

髪が薄くなっても、今時の50代は昔のおじさんのように、サイドの髪を伸ばして頭頂部を隠したり、バーコードにするケースは皆無。彼等は皆、髪を短く刈りそろえて、竹中直人やトム・フォードのようなオシャレ坊主にしているのです。すると、「贅肉の少ないオシャレ坊主」という、似たような人が同期会の中に何人もいることになり、ほとんど見分けがつきません。


ギンギンの競争心がなくなった今、共有できること


しかし同期達が老けていようといまいと、出世していようといまいと、今となってはどうでもいいという優しい気持ちの自分が、そこにはいました。30年前は、皆がギンギンしていたため、誰が優秀で誰がモテるかなど、水面下での鍔迫り合いが行われていたもの。私などは、皆が皆、自分よりもうんとイケてる気がしてならず、ちんまりしておりましたっけ。

しかし50代にもなってそれぞれが人生の山谷を経験すれば、ギンギンしたところも次第に磨耗。イケてるとかイケてないということはどうでもよく、縁あって自分と同時期に学んだり働いていたりした人が健康で生きていることが、嬉しくなってくるのです。私はさっさと会社を辞めたので、この30年間、接点の無かった人がほとんどでしたが、同時期を生きた者としてのちょっとした戦友気分が、そこにはありました。

同期会が終わり、同期の女子と二人で歩いていたら、男子二人と一緒になって、
「では軽くもう一軒」
ということになりました。30年間、ほとんど話したこともないメンツでしたが、普通に世間話ができるのは我々が大人だから。
彼等と別れた後、一緒にいた女子が、
「なんで私達に声かけたのかしらね。ひょっとして下心があったりとかして? きゃっきゃっ」
などと言っていましたが、そのようなことがあるはずもない。
「あなた、よくそんな能天気なこと言えるわね。単に、我々が目の前にいたからでしょうよ」 
と、私は爆笑したのです。

「下心」と彼女が思いたくなった気持ちも、わからぬではありません。中年期以降の同窓会というと、「昔好きだったあの人とつい、二次会の後にホテルへ」といった逸話をよく聞くものです。青春期の炎が再燃、というケースがままあるらしい。

しかし50代になってみると、その手の行為は40代までのような気がしてきました。50代になってみたら、昔の仲間達を異性として見てどうのこうのという異性愛の世界から、互いの無事を寿ぎ合う人類愛の世界へと移行していたのです。


『reunion』のお年頃


自分が若かった時代は、そんなおじさん・おばさん達の心境は、微塵も理解することができませんでした。親のことを思い返しても、しょっちゅう同窓会に行っているようだけれど何が面白いのだか、と思っていた。
オーバーに言うならば、自分が若かった頃は、おじさん・おばさんのことを自分と同じ人間だとは思っていなかったのです。人間=自分の世代。それ以外の人は何か他の生き物、という感じ。

しかし30代、40代、50代‥‥と年をとるにつれ、「こんな年の人も人間として生きていたのか」との発見をするように。「ということは、60代、70代、80代だって」という想像も、つくようになってきました。

同窓会的な集いに参加して思うのは、「50代というのは、『reunion』すなわち『再会』のお年頃なのかも」ということでした。かつて兼高かおるさんが、年を取ってからの旅の妙味は「再訪」にあり、とエッセイにお書きになっていました。かつて訪れた地にまた行って、懐かしい人に会ったり、記憶に残る風景を確かめたりするのが楽しいのだ、と。

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同窓会へ参加してみて実感した50代というお年頃への分析は、後編「再開」編へと続きます。次回は、11月26日公開予定です。
 

前回記事「キリギリスは、どう死ぬべきか【50代独身問題・後編】」はこちら>>

 
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