性教育のアプローチは
性別では変わらない


ここまでは、実際に小島さんが息子さんたちに行ってきた性教育のエピソードを伺ってきました。でも、もしも小島さんに娘さんがいらしたなら、果たしてどんな性教育を行っていたでしょうか。

「もしも娘がいたら、まず伝えたいのはセクシュアル・コンセント(性的同意)ですね。NOと言っていいことを教え、『誰もあなたの身体を好きにすることはできない』と教えます。これは息子たちにも教えています。合意がなくてはいけないんだよ、と。

本質的には、性教育は性別で左右されるものではないと思います。性の捉え方という意味では、同性であれば必ず共感できるとも限らないですから。たとえば、私のように薄っぺらい身体の女に、ベラ・ハディットのようなグラマーな娘の気持ちはわかりません。同じ女とはいえ、彼女がその身体性ゆえに何を誇らしく思い、どんな負担を感じているかは理解しようがないのです。だから私は、女性が置かれている社会的な状況については教えてあげられても、“女とは何か?”ということになったら、これはもう息子のことがわからないのと同様に、娘のこともわからないと思います。女の数だけ、女があるのです。

そもそも母娘は分離しにくいものですから、そうやって距離を置くくらいがちょうどいいのかもしれません。母親が娘に『あなたの気持ちがわかるから、こうした方がいいと言っているのよ』と押し付けることは、『私もママみたいにしなくちゃいけないのかな』という呪縛になってしまうことも。『あなたと私は違う』というメッセージは、親側から伝えてあげた方がいいのかもしれませんね。」

「本来、性の話は何段階にも分けて話したいもの。身体の仕組みの話から、コミュニケーションの仕方、リスク管理など、その内容は多岐に渡るため順を追って徐々に複雑にしていくことが肝心です。我が家では幼児期から性の話を積み重ねてきましたし、現在息子たちが住んでいるオーストラリアでは、学校でかなり詳細な性教育が行われます。日本では基礎がないのに、いきなり18歳からフルコースで教えるのは難しい。やはり家庭での性教育が重要になってきそうですね。」



性教育とは、親子それぞれの
セクシュアリティの旅路


「性教育って、親にとっても“セクシュアリティの旅”のようなところがあると思うんです。まずは親自身が自分の身体のことや性のこと、そしてパートナーのことを知ることが出発点。そして“性と向き合う”ということは、自分が得体の知れないものだと知ることなんじゃないでしょうか。欲望に突き動かされることや誰かと性的な関係を結ぶこと、性的な快感を得ることなど、どれもとても複雑なものです。理屈ではないこともありますよね。想像もつかない感情を覚えることもあるけれど、だからこそ性は豊かでもあるのだと思います。さらに、お互いの底知れなさを分かち合うパートナーとの関係は、やはり特別なもの。息子たちにも、とにかく『この人とセックスをしてよかった。幸せだな、大事にされたな、とお互いに思えることが大切なんだよ』と話しています。

あとはもう、性は体験しながら理解していく部分も大きいですよね。そういう意味では、息子たちが本当の性を知るのはまだこれから。さまざまな経験を積みながら、私の話してきたことを実感していくのではないでしょうか。ただ、私はこれまで、“性とは、その人の魂に関わるほど大切なもの”ということについて真剣に語り続けてきました。その態度は一貫しているつもりなので、性を軽々しく扱ってはいけないということだけは、きっと伝わっているんじゃないかな。」

(この記事は2019年1月11日に掲載されたものです)

小島慶子さんインタビュー 前編はこちら>>

 
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