性教育のアプローチは
性別では変わらない
ここまでは、実際に小島さんが息子さんたちに行ってきた性教育のエピソードを伺ってきました。でも、もしも小島さんに娘さんがいらしたなら、果たしてどんな性教育を行っていたでしょうか。
「もしも娘がいたら、まず伝えたいのはセクシュアル・コンセント(性的同意)ですね。NOと言っていいことを教え、『誰もあなたの身体を好きにすることはできない』と教えます。これは息子たちにも教えています。合意がなくてはいけないんだよ、と。
本質的には、性教育は性別で左右されるものではないと思います。性の捉え方という意味では、同性であれば必ず共感できるとも限らないですから。たとえば、私のように薄っぺらい身体の女に、ベラ・ハディットのようなグラマーな娘の気持ちはわかりません。同じ女とはいえ、彼女がその身体性ゆえに何を誇らしく思い、どんな負担を感じているかは理解しようがないのです。だから私は、女性が置かれている社会的な状況については教えてあげられても、“女とは何か?”ということになったら、これはもう息子のことがわからないのと同様に、娘のこともわからないと思います。女の数だけ、女があるのです。
そもそも母娘は分離しにくいものですから、そうやって距離を置くくらいがちょうどいいのかもしれません。母親が娘に『あなたの気持ちがわかるから、こうした方がいいと言っているのよ』と押し付けることは、『私もママみたいにしなくちゃいけないのかな』という呪縛になってしまうことも。『あなたと私は違う』というメッセージは、親側から伝えてあげた方がいいのかもしれませんね。」
性教育とは、親子それぞれの
セクシュアリティの旅路
「性教育って、親にとっても“セクシュアリティの旅”のようなところがあると思うんです。まずは親自身が自分の身体のことや性のこと、そしてパートナーのことを知ることが出発点。そして“性と向き合う”ということは、自分が得体の知れないものだと知ることなんじゃないでしょうか。欲望に突き動かされることや誰かと性的な関係を結ぶこと、性的な快感を得ることなど、どれもとても複雑なものです。理屈ではないこともありますよね。想像もつかない感情を覚えることもあるけれど、だからこそ性は豊かでもあるのだと思います。さらに、お互いの底知れなさを分かち合うパートナーとの関係は、やはり特別なもの。息子たちにも、とにかく『この人とセックスをしてよかった。幸せだな、大事にされたな、とお互いに思えることが大切なんだよ』と話しています。
あとはもう、性は体験しながら理解していく部分も大きいですよね。そういう意味では、息子たちが本当の性を知るのはまだこれから。さまざまな経験を積みながら、私の話してきたことを実感していくのではないでしょうか。ただ、私はこれまで、“性とは、その人の魂に関わるほど大切なもの”ということについて真剣に語り続けてきました。その態度は一貫しているつもりなので、性を軽々しく扱ってはいけないということだけは、きっと伝わっているんじゃないかな。」
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