現在ほど性教育が注目を集めていなかった10年以上も前から、ふたりの息子さんに対して積極的に性の話をし続けてきたという、タレント・エッセイストの小島慶子さん。インタビュー前編では、幼児期〜小学校中学年頃までのお話を。後編となる今回は、思春期以降の性教育についてお伺いしました。

(この記事は2019年1月11日に掲載されたものです)

小島慶子 1972年、オーストラリア生まれ。1995年にアナウンサーとしてTBSに入社。バラエティー、報道、ラジオなど多方面で活躍。1999年にはギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞。2010年に退社後、2014年からは、夫と息子たちが暮らすオーストラリアと日本を往復しながら、タレント、エッセイストとして人気を博す。『解縛(げばく)—母の苦しみ、女の痛み—』(新潮社)、『るるらいらい 日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)、『幸せな結婚』(新潮社)など著書多数。

 

性は欲望と繋がっているからこそ
取り扱いには細心の注意を


性教育をスタートした幼児期〜小学校中学年くらいまでは、主に身体と性の仕組みについて、人体へのリスペクトを込めて教えていたという小島さん。息子さんたちが成長し、思春期に入ってからは、性にはコミュニケーションという側面があること。そして、性は欲望と密接に隣り合っているからこそ、その扱い方には細心の注意が必要だと、折に触れて話しているそう。

「いまの日本では、特に男子は、性の入口がネットの動画であることも珍しくありません。そこでは主に女性の性が“消費されるもの”として扱われている現状がありますが、息子たちには、その背景にあるものへの想像力を働かせられる人になって欲しいと思うのです。

たとえば、インターネットに溢れる性的な画像や動画は、もしかしたら無理やり撮影されたものかもしれない。また、仮に友人が「彼女のハダカ見る?」と写真を見せてきたとしても見るべきではないし、その少女は望んで撮られたのではなかったかもしれません。

大人になっても、ひと昔前なら「男は風俗くらい行くものだ」という考え方がまかり通っていました。いまはそれほどではないにしろ、日頃どんなに真面目に働いていようが、いい父親であろうが、娯楽として気軽に売春してしまう空気があるわけです。だけど、それを当たり前だと思わないで欲しい。私は、性をお金で買うことには強い抵抗があります。性風俗に行く男性が欲望の対象としか見ていないセックスワーカーの人たちも、当然、私たちと同じように、幸せを追求する権利のある“名前のある人”です。なかには、搾取されたり、劣悪な労働環境で酷使されている人もいます。人身取引の温床となっていることも。そういうことを決して忘れてはならないと思うのです。

そんな風に、自分の前に差し出された性的なものが、どんな経緯で、誰の犠牲や痛みの上に成り立っているのかということは、きちんと考えるべきだし、知るべきだよ、と息子たちには話しています。無知や想像力の欠如ほど、罪深いものはないですから。

テレビで戦争のニュースが流れたら、それをきっかけに性暴力の話をすることもあります。戦時下では、性は兵器のように扱われてしまう場面も多く、たくさんの人がレイプされて魂を殺され、なかには自ら命を絶つ人も…。性暴力は相手の尊厳を踏みにじり、民族を二度と立ち直れなくするほどの破壊力を持った兵器です。性がそういうものにもなり得るということも、教えておくべきだと思いますね。」

「つまるところ私には、男の子の性的欲求はわかりません。」と小島さん。「風が吹いても勃起するくらい性的欲求の虜になってしまうって何なんでしょう(笑)。ただ、そうなった時に自分に何が起きていて、その欲望がどう暴走し兼ねないのか、そういうことを事前に教えておくことが大事なのだと思います。」



“母親と息子”には
本当の意味での乳離れが必要


思春期以降の性教育では、同性の親から伝えてもらいたい内容も少なくありません。夫婦での話し合いも不可欠ですが、実際には、性教育に熱心なのは妻ばかりで、夫は息子に性の話をする妻の姿を快く思えないという状況もあるよう。

「多くの男性は、“母親”と“性”が近づくことに強い拒絶反応を示しますが、あれは一種のマザコンだと思います。私も息子をふたり育ててみて、男の子の原初の性欲は、やはり母親に向けられているのではないかと感じましたが、それはきっと大人になってもなかなか切り離せないものなんじゃないでしょうか。男性はきっと、自分でもそれを潜在的にわかっているからこそ、妻が息子に性の話をすることに過剰反応するのです。『母親が息子に性の話をするなんて、気持ち悪い』と口をついて出てしまうのは、自分のなかにある“ママへの性的な視線”を見せつけられる気がするからなんでしょうね。

要は、本当の意味で乳離れできていないのだと思いますが、その場合、それを断ち切ってあげられるのは、妻しかいません。なぜ妻がそんなことまでしてあげなきゃならないのかという疑問は残りますが、実際問題として、そこは夫婦関係における大きなテーマではないかという気がしています。私も夫に「私はお母さんの身代わりじゃない!」と徹底的に言い続けた結果、結婚後15年ほど経ってようやく、母親の代用品としての妻ではなく、私自身に対する眼差しを獲得できたように思います。恐らく、それができてこそ、性教育の話もスムーズにできるようになるのではないでしょうか。」

一方、そんな“母と息子の関係性”を、我が子への性教育という点から考えた場合、母親への愛着に性的な興味が入り始めたと気づいた瞬間から、それを遮断していくことが必要になってくるよう。

「私も昔、まだ幼児だった息子の私の身体への興味の持ち方が変わったなと感じたことがあって。“食べもの”だったおっぱいへの郷愁とは違う、女性の身体としての乳房への興味に近いものを感じたんです。本人も幼くて無自覚なのですが、それ以降は『触らないでね』とはっきり断るようにしていました。そこでまだ子どもだからと受容し続けていたら、彼らは文字通り乳離れできない大人になってしまう。だからそこは、淋しくても母親側から切っていくべきなんです。母親と“性の対象”を切り離す作業は、将来、彼の性的な眼差しをパートナーとなる女性にきちんと移行できるように、背中を押してあげることなのだと思いますね。」

 
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