① 本能寺だけじゃない! 明智光秀の青年時代


大河ドラマ「麒麟がくる」で大注目の戦国武将・明智光秀(あけち・みつひで)。
NHKが発表したメインビジュアルは、長谷川博己さん演じる光秀が、鋭い眼差しでこちらを見つめる印象的なものでしたね。

明智光秀といえば、「本能寺の変」で織田信長をうらぎった謀反人……のイメージが強いですが、信長の他にもさまざまな主君に仕え、武将としての出世街道を歩んだ事や、一夫多妻制の当時には珍しく、たった一人の妻しか娶らなかった事は、意外と知られていないのでは。

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実は、明智光秀の歴史的資料は少なく、その人生については謎が多いそう。
とはいえ、大河ドラマでは、光秀の青年期から描かれるとの事ですから、豪華キャスト陣がどんなストーリーを演じるのか、みなさんもきっと楽しみにしていると思います。

そこで、知っていれば大河ドラマをさらに楽しめる(?)、明智光秀のあんな事やこんな事について、書籍『戦国武将物語 明智光秀 美しき知将』をもとに、全3回にわけてご紹介!
1回目は、青年時代から信長に出会うまでの光秀をご紹介します。


まむしの道三との出会い


美濃(現在の岐阜県)の支配者・斎藤道三(さいとう・どうさん)。大河ドラマでは、本木雅弘さんが演じる戦国武将です。光秀の最初のターニングポイントは、この、道三との出会いにありました。

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1528年に、美濃国の明智長山城に生まれた明智光秀。しかし、わずか2歳の時に、母親が実家に戻ってしまい、光秀の母親がわりとなったのは、叔母の小見の方(おみのかた)でした。
小見の方は、光秀を我が子のように育てましたが、やがて、美濃の蝮(まむし)とあだ名される武将・斎藤道三のもとへ嫁ぐことになります。光秀が5歳の時でした。
幼くして実母につづき養母とも別れた光秀に、悲しい出来事は続きます。11歳の時に、父の光綱までもが病で亡くなってしまうのです。

しかし、悲しみに負けず学問や武芸にはげみ、見事な青年武士となった光秀は、1543年に16歳で元服しました。
この年は、鹿児島県に火縄銃が伝わった年でもあります。(歴史の授業で「鉄砲伝来」って習いましたよね〜、なつかしい!)
そして、この「鉄砲」を斎藤道三が手に入れたと聞いた光秀は、さっそく道三のいる稲葉山城を訪ねます。

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道三に気に入られた光秀は、この地で鉄砲の腕をみがきました。また、道三に勧められ、兵法書や茶道に親しむなど、武将としての知識と文化人としての教養を身につけたのです。


苦難を乗り越え、織田信長の家臣に


21歳となった光秀は、叔父の光安とともに京へ上り、13代将軍・足利義輝(あしかが・よしてる)と出会います。ここで光秀は、義輝に仕える細川藤孝(ほそかわ・ふじたか)家臣となり、諸国を遍歴し見聞を広めました。その後、明智の里に戻り、生涯たった一人の妻となる煕子(ひろこ)を娶ります。

しかし光秀29歳の時、斎藤道三が長良川の戦いで負け、道三に味方した叔父・光安も戦死。光秀が生まれ育った明智長山城も焼失してしまいました。
身重の妻を連れ、いったんは母の実家である若狭に逃れた光秀でしたが、数年後、越前(福井県)へ向かいます。貧しい暮らしの中で、近所の子供たちに学問を教えるなどして家族を養い、やがて大名・朝倉義景(あさくら・よしかげ)の家臣にとりたてられました。

その後、以前の主人である細川藤孝を通じて13代将軍・足利義輝の弟、後の15代将軍となる足利義昭(あしかが・よしあき)に仕えます。そしてこの義昭が、将軍となるための後ろ盾となった人物こそが、織田信長(おだ・のぶなが)だったのです。

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光秀が義昭を信長に会わせた事で、義昭は将軍となり、信長は天下取りのスタートラインに立ちました。そして光秀は、信長の家臣として次々と武勲をうちたて、やがて34万石の大名へと大出世を遂げるのです。


次々に職場を変えて出世成功⁉


激動の戦国時代、いちどは城を焼かれても再起し、何人もの主君につかえながら、ついに時の人である信長の家臣になった光秀。
彼が出世の階段を駆け上がることができたのは、自分の能力を活かせる職場選びのセンスが、ずば抜けていたからなのかもしれません。


そんな光秀が、なぜ信長を裏切り、「本能寺の変」を起こしたのか。
次回はそのワケに迫ります。

 

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『戦国武将物語 明智光秀 美しき知将』

小沢章友/作 kaworu/絵

明智光秀が生涯こだわった
「美しい生き方」とは?


「本能寺の変」で、天下人・織田信長を討った明智光秀。
激動の戦国時代、いちどは城を焼かれても再起し、何人もの主君につかえながら、ついに時の人である信長の家臣に。すぐれた戦闘能力と、文化人としての側面をあわせもつ光秀は、出世の階段をかけあがってゆくが…。
謎の多い最後の戦国武将、波乱の生涯!(小学中級から)


イラスト/kaworu『戦国武将物語 明智光秀 美しき知将』より
構成/北澤智子