普段はクリティカルシンキングが大得意なロジカルな人でも、なぜか「俺は子どものころ」と、サンプル=1の話に陥ってしまいやすいのが教育観談義。そこから教育経済学などで「エビデンスベース(統計データなど科学的根拠に基づく、の意)」という言葉が一時はやりましたが、これはこれで、一部置かれた環境の違いを無視して海外の統計を日本に当てはめている、個別の子どもたちの生身で受ける影響を看過しているなどの研究も散見されます。

 

教育というのは、これこそが解というものが見つかりにくい分野で、日本にいて日本人同士で話していても、自分にとっては当たり前と思えるような価値観が、必ずしも隣にいる人にとってはそうではないということはよくあります。そこでさらに国が変われば、真逆の教育観が支持されていることもあります。

数年前に書かれた『Beyond The Tiger Mom』という本を読みました。そもそもTiger Momというのは子どもをビシバシ勉強させる中華系母親による著書および教育方法ですが、この『Beyond The Tiger Mom』はインド出身の女性教員が15年も米国の教育にどっぷりつかり、すっかり価値観が西欧化された状態でシンガポールに子どもたちとともに移り住み、新たにアジア系の親たちと接していく中で米国とは根本的に異なる教育方法や価値観が支持されていることに気付く、といった経験をつづっています。

 

著者は研究者ではなく、サンプルの偏りや少なさについてはたびたび限界があることに言及しながらも、まずはアジア系が算数に異常なほど価値を置いていることに驚いたと言います。米国でのアジア系学生はとりわけ理数系に強いと言われますが、遺伝子レベルで算数が得意なのではなく、実際にアジア系の親は買い物に行くときに計算をさせるなど、Math Friendlyな環境を作っていることが多いというのです。

著者は算数の重視についてはアジアの親に賛同している側面がありますが、一方で西欧系の親が音読を欠かさず、本を読むことに価値を置いていることについては教師としてもその効果を支持しています。アジア系の親はテストなどでの結果がでやすいドリルやスペルの暗記に偏りすぎているというわけです。

著者も言うように少しサンプルが偏っている気はしますが、アジアの親は十分な訓練をさせないことにむしろ罪悪感を抱き、西欧系は子どもにストレスを与えることに罪悪感を抱く。テストで悪い点数を取ったらアジアの子どもは罰せられて遊びに行ってはいけないと言われるのに、西欧系の子どもは慰めるために逆にお菓子をもらえる、といった態度の対比も描かれます。

 
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