年明けまもなく、Twitterのハッシュタグ「#二十歳の自分に言っても信じないこと」を使ったあるツイートが話題になったのをご存知でしょうか。
それは、子育てを機に32歳で漫画家を引退し、30年以上現場を離れていた笹生那実さんが、61歳で編集者にスカウトされ、64歳で漫画家として再デビューすることになった経緯を綴った驚きのつぶやきでした。

実は笹生さんは、かつて『ガラスの仮面』の美内すずえ先生やくらもちふさこ先生、山岸凉子先生といった、少女漫画の黄金時代を築いた錚々たる先生たちのもとでアシスタントをしていました。そんな青春の思い出を綴ったエッセイ漫画が、再デビュー作の『薔薇はシュラバで生まれる-70年代少女漫画アシスタント奮闘記-』です。
今回は笹生さんに、大物少女漫画家との壮絶な“シュラバ”体験のほか、子育て後のキャリアや人生についてお聞きしました。

『薔薇はシュラバで生まれる』に合わせた“薔薇柄”の着物が素敵な笹生那実さん。


――30年を経て再デビューということですが、漫画家としてまた活動したいと思われていたのでしょうか。

 

いえ、本当に、まったく思ってもいませんでした(笑)。
もともと高校3年生の時に『別冊マーガレット』でデビューしたんです。でも2人目の子供ができてから兼業が難しくなって、32歳で引退しました。
当時の少女漫画家は20代半ばで引退するのが普通で、ものすごく才能のある一握りの先生たちだけが描き続けていくもの、という感じでした。だから自分も大多数の辞めていく方になるのは当たり前だなと思っていました。

美内すずえ先生との初対面シーン。笹生さんによる“美内先生タッチ”が最高です。


――64歳で再デビューすることになったきっかけを教えて下さい。

話は30代の子育て期に遡りますが、子供の同級生のお母さんで、若い時『アタックNo.1』に傾倒してバレー部で活躍していた方が、ママさんバレーを始めたんです。また、20歳くらいの時にディスコが大好きだったお母さんは、ダンスのインストラクターとして働きながら子育てしてて。その話を聞いた時、「あれ?」と思ったんです。
女の人はお母さんになるとそれまでと違う人間にならなくちゃいけない、みたいな考えが私のどこかにあって。でも、自分の好きだったことを再開したり何らかのかたちで続けたりしてるお母さんたちの姿を見て、人間ってそんなに変わらないものなのかも知れない、と徐々に意識が変わってきました。
その後、42、3の時に同人誌を始めることになったんです。

 
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