酒井順子さんにより書き下ろしエッセイ。「自分がえり」後編は、「誰かのために」モードのその次は……を考察します。

 


ボランティア活動で得られる充足感


2011年に発生した東日本大震災の時には、
「今こそ、誰かのために動かなくては!」
と、ボランティア活動に邁進した人もいました。その頃、我々は40代。気力・体力・そして財力のバランスが最も取れていた時代であったため、休日をフルに使ってボランティアに通う人も。子供はいないが経済力はある、という状況は、ボランティアをするにはぴったりだったのです。

 

震災後、ボランティアとしてずっと被災地に通っていたある知人は、
「ボランティアに行くと、みんな感謝してくれて、嬉しくてたまらないのよ。実は仕事に支障が出つつあるんだけど、ボランティア生活が充実しすぎて、やめられない……。誰か私を止めて!」
と言っていましたっけ。ボランティアによって感じる「誰かのためになる」という充実感は、仕事では得られないものだったのです。

とはいえ、ボランティアの現場は過酷です。心身ともに疲弊しながら、それでもボランティアをせずにはいられず、
「こういう言い方もどうかと思うけど、一種の中毒だと思う」
と言っていたものでした。

東日本大震災の時、私世代は40代であったわけですが、40代は仕事の面においても、「他者のためになりたい」という欲求が湧き立つ年頃です。大きな企業で働くキャリアウーマンの友人は、
「子供のいない私は、会社で後進の女子達のために道を拓いてあげることが、世の中にできるせめてもの恩返しだと思うのよね。私はそんなに出世できなくとも、後輩の女子達が地位を得られるようにはしておきたい」
と、頑張って働いていたものです。

子ナシ族にとって、このように40代は「他者のためになりたい」という欲求がピークに達していた頃。そういえば私も40代の時は、支援をしている子供に会うべく、ラオスに行ったりしたものでした。

それは、水道もガスも無い小さな村での、ホームステイ。日の出とともに響く放し飼いのニワトリの鳴き声によって寝袋の中で目覚め、子豚や子犬と一緒に焚火にあたり……といった生活に心が洗われ、「本当の幸せって? 『支援』って?」などと考えたものでした。

その村には、40代で独身子ナシの女など一人もおらず、女達は皆、結婚して子供を持っていました。そんな姿を見ると、わざわざ飛行機を乗り継いで異国の小さな村にまで行かないと「他者のため」になれない自分を、見つめ直さざるを得なかったものです。自分は道楽で「他者のため」プレイをしているだけなのではあるまいか、と。

そうこうしているうちに、50代。気がつけば、自分の中の「他者のためになりたい欲求」は、昔よりも落ち着いてきたように思います。それは図らずも、子アリ族の子離れ期と同じ年頃。子供のいない者であっても、更年期に入れば、生物としての脳内エアー子育てが一段落つくものなのか。


誰かのお世話になる時期に入る前に


とはいえリアル子育てをした子アリ族とは違い、「もう十分、誰かのためになった。あとは自分の好きにさせてもらうわ」と思っているわけではありません。「他者のためになりたい欲求」が落ち着いてきたのは、「そろそろ自分のことをちゃんと考えないと、他人様にご迷惑をかけてしまうのでは」という気がしてきたからなのです。

人間、誰の世話にもならず、自立して生きていくことができる時期は、案外短いのでした。子供時代から青年期にかけては、親がかり。それからしばらくは自立期となりますが、老年期になるとまた、誰かのお世話にならざるを得ません。

50代が初老であるならば、それは誰かのお世話になる時期の入り口、ということです。確かに、どうということのない段差につまずいたり、何か食べている時に誤飲して咳き込んだりといったことが、50代になって目立ってきました。足腰を鍛えるためにジムに通ってみたり、喉を鍛えるためにカラオケアプリを導入して、誰もいないところで一日に1曲は絶唱してみたりと、私はその対応にやっきになっています。

そうなるともはや、道楽で他者のためになったつもりになったり、そんな自分にうっとりしたりしている場合ではなくなってきたのかもしれません。子ナシで孫ナシの立場としては、自己満足のために「誰かのお役に立つプレイ」をするよりも、つまずいて転ばないようにしっかり歩くことができる身体をキープすることの方が、世の中には有益なのかも……。

そんなわけで50代は、子アリでも子ナシでも、しばし「自分」に戻って、英気を養うお年頃。昔であれば、ほどなく死を迎えられたのでしょうが、今はさらに何十年も生きていかなくてはならないからこそ、ここでいったん「自分」に戻る必要があるのではないか。

もちろん私達は、今の高齢化社会において、高齢者をケアする側の立場です。が、50代は面倒をみる側から、みられる側になる転換点でもある。そのエアーポケットのような時間を利用して、50代達はしばし、自分にかまける小休止を得るのでしょう。

子供達は巣立ち、夫は単身赴任という前出の友人は、
「今思えば、子育てに奮闘している時が、私の人生の華だったわぁ。誰かの役に立つことができるって、実はすっごく贅沢なことだったのよね。私、実家暮らしのままで結婚したから、今は人生で初めての一人暮らしなんだけど、一人でいると自分のことなんて、どうでもよくなっちゃうもの」
と、語っていました。凝った料理を作る気もせず、適当に作った料理も、
「キッチンで、立ったまま鍋から食べてたりして、立ち食いそばより悲惨よ」
と語る彼女の目は、悲しげでした。

「誰かの役に立っている」と確信することができた贅沢な時間から離れた彼女が、自分のために再び時間を使うようになるには、今少しの時間が必要のようです。しかし今はまだお元気な彼女の親御さんに介護が必要となった時には、自分のためにだけ過ごすことができた時間を、懐かしく思い出すはず。我々は誰かの役に立っていようといまいと、常に無いものを求めながら、生きていくのですねぇ。

前回記事「自分の欲求に久しぶりに素直になれるお年頃【自分がえり・前編】」はこちら>>