酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。今回のテーマは、50代から蓄えたいもの。クォリティー・オブ・中高年ライフを送るために必要な3つの「キン」とは……。

 

筋肉は裏切らない


「50代からの女に必要なものは、三つの『キン』なのよ」
と、先輩女性に言われたことがあります。それはすなわち、
「お金、筋肉、近所の友達」
だとのことで、私もおおいに納得したことでした。

 

「『近親』、つまり家族は入ってこないんですね」
と問えば、
「夫はどうせ先に死ぬし、子供なんてどうなるかわからない。ひきこもりになったりしたら、こちらが80代になってもまだ頼りにされなくちゃならないんだから、あてにしないほうがいい」
とのこと。家族を頼りにするのはかなりリスクが高いので、それよりも、自分でお金を貯め、いつまでも自分で電球を替えられるくらいの筋肉量を保ち、そして遠くの親戚よりもずっと頼もしい近くの友達との仲を大切にした方が、クォリティー・オブ・中高年ライフを保つことができるというのです。

考えてみますと、確かに私は無意識のうちに、50代になってから、それら3キンを大切にするようになったように思うのです。たとえば、筋肉。

40代の頃までは、老化といってもまだシワだのシミだのといった表面的な部分ばかり気にしていたのですが、50代にもなると、意識が変わってきました。表面的な部分の老化が改善されるわけではないものの、「そんなものは大した問題ではない」と、気づいてくるのです。

シワだのシミだのは、もはや存在して当たり前だし、痛くも痒くもない。それよりも大切なのは、骨肉であり血であり内臓だ、ということがひしひしと理解できるようになるこのお年頃。目に見えない部分の衰えの進行スピードをできる限り抑えたいと我々は必死になるのであり、「骨盤底筋」などという言葉は、今や50代女性の誰もが知っているのではないか。

私も、せっせと運動をしています。若い頃のジム通いは、ダイエットできればいいな、くらいの気持ちでしたが、50代は遠くないうちにやってくる老後のための貯金ならぬ貯筋活動なので、皆がマジ。何かに取り憑かれたかのように運動に精を出す人もいるのであり、その気持ちも理解できるのでした。

着々と筋肉を蓄えていく、おばさん達。筋肉の外側を覆う脂肪部分は重力のいいなりになっているものの、
「でも、筋肉は裏切らないよね」
と、満足そうです。
 

歳とともに増す「近くの」友達の重要性


「近くの友達」の重要性も、ひしひしと感じます。ここで重要なのは、単なる友達ではなく「近くの」友達、というところです。

若い頃は、友達と会うべく都心で毎日のように食事に出かけるのも、全く苦ではありませんでした。しかし年をとるにつれて、都心まで出かけるのがどんどん面倒になってきます。シニアになったならば、どんなに仲良しの友達と会うためであれ、西麻布とかに行くのはつらかろう。

愛の力は距離を超えると言いますが、年齢の力は距離の力に勝つことができません。だからこそ「近くの友達」は重要なのであり、シニア女性がしばしば、仲良しの友人同士で同じマンションの別の部屋に住むのはそのせいでしょう。

気がつくと、中年期になって以降、学生時代からの友人達が、帰巣本能のせいなのか、じわじわとそれぞれの実家近辺に集合してきているのでした。子育てや仕事に夢中になっていた間は疎遠だったのが、また近くに住むようになったことによって、愚痴り合ったり、親の葬儀の手伝いをし合ったりしている。「近所の友達」の重要性を皆、どこかで察知したのでしょう。

特に女性の場合は、誰もが最後はおひとりさまになる確率が高いことを指摘したのは上野千鶴子さんでしたが、友人同士が近くにいることによって、一人になった時に助け合うことも可能。

シニア世代を見ると、女性が忙しそうに友人付き合いをしているのに対して、男性は暇を持て余している、というケースが多いのは、「近所の」友達が少ないせいもあるのでしょう。女性は、子育てを通じて友情を築いたママ友が地元にいるケースが多いけれど、男性は仕事社会に知り合いはいても、地域社会の友達は少ない。そのせいで、仕事社会との縁が薄くなった時に、ぼーっとしてしまうのです。

しかし仕事に夢中になっている女性も多い昨今、全ての女性が地元で地縁を築いているわけではありません。かつての定年後のおじさん達のように、退職後の女性がぼーっとしてしまうケースも、多くなってくることでしょう。

我々がおばあさんになる頃には、世の中に大量のおばあさんが溢れる、おばあさん過当競争の時代になります。そうなった時に予想されるのは、おばあさん内カーストの出現でしょう。

我々の学生時代、スクールカーストという言葉はまだ誕生していませんでしたが、その手の意識は確実にありました。私なども、縦軸と横軸を配した表に、クラスメイトをマッピングしていたもの。

おばあさん内カーストにおおいに関わってくるのは、コミュニケーション能力の多寡です。仕事や所属といったアクセサリーが廃されれば、個人のコミュ力が再び試される時がやってくるのであって、「愛されおばあさん」を皆が目指すようになるのでしょう。

しかし努力すれば身につけることができる筋力とは違い、コミュニケーション能力というのは、努力だけでは如何ともしがたいものがあります。明るいわけでもなければ性格が良いわけでもない私なども、その辺りは甚だ自信がありませんので、今からおばあさん内カーストの底辺を生きる覚悟をしておかなくてはなりますまい。しかしそのような私であっても、「近くにいる」というだけで付き合ってくれる友人はありがたく、大切にせねばと思うのでした。

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後編では、3つ目の「キン」、お金について考察します。
後編は、4月21日(火)公開予定です。
 

前回記事「「誰かのためになりたい欲求」の行方【自分がえり・後編】」はこちら>>