予定日より少し早く、子どもが産まれた。

妊娠後期に入った私の心配事といえば、
「分娩の痛みに耐えられるだろうか?
陣痛の痛さってどんなものかしら?」

「陣痛 痛み」とどんなにググってみても、どうも納得のいく明確な答えは得られない。
迷いなく無痛分娩を選択した姉には聞く余地もなく、
母に至っては「そうね~、どんなだったかしら?忘れちゃった!」と、全く参考にならない。

 


いつ始まるかわからない陣痛への恐怖の紛らわし方法といえば、チクチク針仕事。
使いあぐねているけれど気に入っている生地や、
穴が空いて使いものにはならないけれど捨てられない質のいい夫の靴下や…
そんなものを使いながら、未知の育児生活を妄想し、チクチクと赤ちゃんグッズを作っては、暇だけれど暇じゃない時間を潰していく。

そうやって3つくらい出来上がった頃、規則的な鈍痛が襲ってきて、ついにそのときが来てしまった。

 

15時間に及んだ出産は、想像を遥かに超えた苦しさだったが、
出てきてしまえば、母が言っていたように、
その痛み共々ポーンと飛んでいってしまった。
と同時に、母となった自覚と自信がふつふつと湧き上がる感覚があった。

今までは、「私」が主役の人生を送ってきたけれど、これからは、「赤ちゃん」が主役。
そう考えたら、今まで抱いていた陣痛への恐怖なんて馬鹿馬鹿しいものに感じられたし、育児への不安は、いい緊張感を持った"楽しみ"に変わった。

誰かが言っていた「赤ちゃんは、神さまからのお預かりもの」。
"授かりもの"と言ってしまえば、赤ちゃんを私物化してしまうけれど、
"お預かりもの"と考えたら、それはいつかお返しするもの。それまで、骨董品のように、大切に大切に愛でることが、私たちに託された任務である。

 

◎今日の針仕事
穴の空いた夫の靴下で作ったぬいぐるみ。

 写真:白石和弘

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