現代の貧困ではたくましささえ育たない
そう聞くと学力や偏差値と違い、身体的文化資本、非認知スキルは誰もが伸ばすことができそうな気がします。しかし、ここでもすでに格差が生じているそう。
「家庭の経済格差や地域格差などによって、非認知スキルと身体的文化資本の格差も広がっています。問題は、そのふたつが現在の大学入試に直結していることです。今回の本の主題にもなっているのですが、大学入試を身体的文化資本を問う内容にすること自体は間違っていないのが、これまた厄介な問題でもある。しかし、このまま放っておけば、身体的文化資本の格差をさらに広げかねないシステムになってしまっているんです。
経済的に恵まれていない家庭でも非認知スキルに長けた子やハングリー精神に溢れた子が育つこともあるけれど、統計的に見れば少数で極めて例外的です。現在の貧困は相対的貧困で、いわゆる『三丁目の夕日』のような、高度経済成長期でもあった昭和30年代くらいまでの貧困とはわけが違う。あの時代ならハングリー精神が養えたかもしれないけど、いまはそれができません。
たとえば、非認知スキルを育てるには“お手伝い”が重要だけれども、現代では貧困層ほどコンビニ弁当や菓子パンで食事を済ませます。ダンボールの上に菓子パンとカップラーメンを乗せて食べるだけだから、お皿洗いをしなくていい。つまり、貧困層ほど家事をしないし、生活保護世帯ほどちゃぶ台がない。“そこらに生えた雑草でどうにかしなさい”ならばたくましくなるけど、コンビニに行けばなにかしら食べものにありつけるから、たくましくもならない」
人間は社会のなかでこそ育つ生きもの
もはや教育は学校や先生、そして親や子といった当事者だけの問題だけではなくなっています。では、私たちは子供たちの教育にどう関わっていけばよいのでしょうか。
「人間は未熟な状態で生まれるからこそ、社会全体で子供を育てていく必要がある。それを社会的機能として再び取り戻すべきなのですが、はっきりいって東京ではもう不可能な話だと思っています。それぞれの家庭があまりにも孤立している。たとえば中学から地元を離れて私立に通うようになると、その子も親も地域との結びつきが薄くなってしまう。貧困に関しても、助け合わなきゃ生きていけない絶対貧困とは違って、個別でも生きていける相対的貧困ゆえに都市部ではことさら孤立が激しくなる。でも、コロナの問題も含めて私の住んでいる豊岡ではそういった問題は回避できています。すべての問題は、東京への一極集中が連動しているんです」
コミュニケーション能力の育成を掲げた教育改革。偏差値偏重であった従来の授業や試験からの脱却を目指す動きは歓迎されていますが、演劇教育といった新しい教育に戸惑う親や子供、それでも生じてしまう新たな形の教育格差と、なにかと問題は尽きません。そして、それらだけでなく新型コロナウイルスによる混乱の原因は、“東京への一極集中”にあると語る平田さん。後編では、平田さんがお住まいの兵庫県豊岡市での施策などを例に、その解決策を語っていただきます。
<書籍紹介>
『22世紀を見る君たちへ これからを生きるための「練習問題」』
平田 オリザ (著) 講談社 ¥860(税別)
今の子どもたちの文章読解能力は本当に「危機的」なのか? 英語教育改革が目指す「ネイティブ並みの発音」は本当に必要か? 混迷を極めた共通テストの真の問題点とは……? 先行き不透明なこの時代に、子どもたちが将来どんな職業につくかなどわからない。だからこそ、生きていくために本当に必要な能力とは何なのか。時代の変化に揺らぐことのない教育の「本質」を探る。
取材・文/平田裕介
構成/山崎 恵
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