現在、学校では清掃員が絶えず構内を巡回してドアノブなどの消毒を行い、生徒たちの社会的距離を確保しつつ、通常通りの授業を行っています。一方で長男の通っている塾は週に1度、土曜日に4時間のZoomオンライン授業。10人から20人ほどのサイズです。
長男に感想を聞くと・授業の合間や休み時間に隙を見て先生に直接質問できないのが不便・自分の手元のノートをさっと画面共有することができないので不便・生徒同士のお喋りがないのはいい・chatを併用できるのは便利・・・ということでした。休み時間には画面の前を離れることができるとはいえ、学習環境が自宅だとやる気が出にくく、相当頑張って集中していないと気が散りやすいとも。一方、夫は車社会のパースで息子を塾まで送り迎えする必要がないので助かっています。感染の機会を減らすという意味でもありがたいですね。
この先また感染の第二波が来てオンライン授業へと移行しても、息子たちは中3と高3なので自力で学習できるでしょう。でも小学生や、もともと学習に遅れのある子どもの場合は、親がそばでフォローしないとなりません。これは親にとっては相当大きな負担です。将来的にオンライン授業が当たり前になっても、個別の支援は何らかの形で必要になるでしょう。
厳しい外出制限が敷かれていた4月からの3週間ほどは、息子たちは友達とも会えずにずっと家で過ごしていました。学校が再開されてからの彼らを見ていると、居場所を持つことの大切さを感じます。学校で友達と交わす何気ない会話や教師との個別のやりとり、みんなで同じ教室で過ごす時間。彼らにとってそれらが自分自身の一部になっているのですね。
私も振り返れば、校舎の風景や匂い、音、制服の手触りや友達や先生とのちょっとしたシーンを思い出します。人間関係で悩んだこともあったし、学校が嫌いになったこともありました。でも、そこを自分の人生の一部と感じることができたのは確かです。一方的に同調を強いられるのは苦痛でしかありませんが、自分がそのコミュニティの一員であると自ずと感じられる居場所を持つことは、子供が自立していく過程で必要ではないかと思います。
今回、学校に行けない期間を経て復帰した息子たちを見て、彼らにとって今通っている学校がちゃんと居場所になっていることが確認できました。オンライン学習は学びの場を広げるために不可欠です。ただ居場所作りという点では、まだ課題は多そう。多様な学びの選択肢を増やすことは重要ですが、その学びとは単に教科の学習という意味で捉えるべきものではないでしょう。
今、ビジネスの世界ではdiversity & inclusion(多様性と包摂)に加えてbelonging(居心地の良さを感じること)が注目されていますが、これはビジネスだけに限りません。人が安心して生きていくためには、周囲の環境の一員だと思えることが不可欠です。あなたは歓迎されているよ、そこにいていいよというメッセージを受け取り、自ずと居心地の良さを感じること。
教育はまさに、子どもたちに「ようこそ世界へ!」と伝える営みです。知識の伝達だけでなく、有機的な関わりの中で非言語の歓迎の意を伝えることが・・・押し付けではなく、受け取る側がそのように感じられるような働きかけをすることが、深い学びを可能にするのでしょう。知ることは、自由になること。自分は広い世界の当事者であると発見することです。
オンライン化が加速するアフターコロナ社会の課題は、画面上のつながりでこのbelongingをいかにして可能にするかということではないかと思っています。
前回記事「【【小島慶子】コロナ後のファッション。私たちは何をどう着るのか」はこちら>>
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