しかし、これはウラを返せば、自分がなりたい職業に関連する学科を持つ学校に入り直したり、部分的でも単位を取得すれば、誰でもその職業に就けるということを意味しています。ホテルに就職したければホテルマネジメントの学科のある学校に入り、マーケティング担当者として仕事をしたければマーケティングの単位を取るという話です(その後、出世できるのかは実力次第)。
ところが日本の場合、学歴が持つ意味が諸外国とは少々異なっています。スキルの証明というよりも、将来に対するポテンシャルとして学歴を位置付けるケースが圧倒的に多いからです。
例えば、ある企業で成果を出している高卒の若手社員と、東大卒の新入社員の2人のうち、どちらを将来の社長候補とみなすのかという話になると、大抵が東大卒の新卒社員という話になっているのではないかと思います。加えて、多くの会社が、学生の大学名は重要視しますが、専門が何かはほとんど問いません。
確かに昭和の時代までの日本経済は貧しく、安価な工業製品を大量生産していましたから、ビジネスの仕組みも単純でした。欧米に追いつくことが最大の目標でしたから、とりあえず学校の勉強ができる人を採用しておけば、ある程度までなら、使いものになったわけです。こうしたことから、学歴=将来のポテンシャル、という評価が固まったものと思われます。
しかしながら、価値観が多様化し、イノベーションも活発になっている今の時代はそうはいきません。そもそも、どれだけ優秀な人でも、20年後にビジネス環境がどうなっているのか予測することなど到底、不可能です。こうした時代であるにもかかわらず、我慢力がモノを言い、綺麗に答えが出る学校の勉強を過度に重視し、偏差値が高かった人を無条件に高いポテンシャルがあると評価してしまっては、物事がうまくいかないのも当たり前です。
つまり日本において学歴に対する疑問の声が大きいのはこのあたりに原因がありそうです。
諸外国と同様、学歴について、単に仕事のスキルを身につけるために取得するものと位置付けるのなら、学歴に対する疑問の声はかなり少なくなるでしょう。
前回記事「日本で「被害者叩き」がやまない理由。もうスルースキルという言葉は死語にしよう」はこちら>>
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