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皇室で初めて自ら結婚相手を選んだ秋篠宮さまのプロポーズ秘話【紀子さま物語】

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礼宮さまは、成長するにつれて、なにごとにも興味を持つわんぱく坊主に育っていきました。学習院幼稚園のころには、そのころテレビで人気だった「タイガーマスク」をまねて、お友だちと「タイガーマスクごっこ」をしていたとか。ときには泣きだしてしまう子もいたほどで、美智子さまはママ友に直接お詫びの電話を入れたというエピソードもありました。

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1968年8月、浜松駅にて。写真/講談社

私が取材に訪れていた際のことです。
夏休みにご家族みなで弁天島の養鰻場を見学されたのですが、桶のなかでうねうねと動く鰻を見て、慎重な浩宮さま(今の天皇陛下)はちょっぴり引き気味に。そばにいた濱尾実侍従に向かって、
「濱尾さん、さわってみたら」
と言って、ご自分は遠巻きに眺めています。

 

すると、弟の礼宮さまがいきなり桶に手を突っ込み、素手で鰻をつかんで「きゃっきゃ」と言いながらぶんぶん振り回したのです。
慎重な兄と大胆な弟。
私は「幼いころから性格の違いというのはあるのだなぁ」と驚いたのを覚えています。礼宮さまは自分の気持ちにまっすぐなお子様に成長されていきました。

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1968年8月、長野種畜牧場にて。写真/講談社
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1968年8月、浜松の水産試験場にて。写真/講談社

やがて動物がお好きな礼宮さまは、亀やニワトリを飼い自分からエサをやってこまめに面倒をみて育てる少年に成長しました。のちに学習院大学法学部を卒業されてから、英国オックスフォード大学大学院動物学科に留学されて本格的に動物学を学び、理学博士をお取りになりました。

自分の意思で想いを寄せる人にプロポーズ

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ご結婚当日、自宅から出発される紀子さま。写真/JMPA

大学生となり、気の合う仲間と「自然文化研究会」というサークルを立ち上げて活動されていた礼宮さま。当時評判のかわいい後輩、紀子さまをサークルに誘って学生生活を謳歌されていました。

ある日、礼宮さまと紀子さまは目白駅近くの交差点で信号待ちをしていると、
「私と一緒になってくれませんか?」
ふと振り向いた礼宮さまが、紀子さまにプロポーズしたのです。突然のことに驚いた紀子さまは、
「少し考えさせてください」
とご返事しました。1986年6月のことでした。

翌日、礼宮さまはこのプロポーズことを陛下と美智子さまに話されましたが、お二人はちっとも驚かれた様子はなかったといいます。ご結婚されたのちに、秋篠宮さま(礼宮)はこのように述べられています。

「家内からのOKの返事はいつだったのか……、はっきりした返事ではありませんでした。自然にそのままというか、よく覚えていません。……結婚するうえで、例えば相手が旧華族でなければいけないなどの制約はありませんでした」

お二人のご結婚は、1989年9月12日の皇室会議で正式決定されます。
プロポーズから3年の月日がたっていました。

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渡邉みどり(わたなべ・みどり)

皇室ジャーナリスト、文化学園大学客員教授。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網に入社。1980年、「三つ子十五年の成長記録」で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞。1989年の昭和天皇崩御報道ではチーフプロデューサーを務める。著書に『美智子さま マナーとお言葉の流儀』(こう書房)、『美智子さま 美しき人』(いきいき)、『美智子さまの生き方38』(朝日文庫)など、監修に『とっておきの美智子さま』(マガジンハウス)、『美智子さま あの日あのとき』『日めくり31日カレンダー 永遠に伝えたい美智子さまのお心』(ともに講談社)など多数ある。

文/高木香織

前回記事「紀子さまに一目惚れした秋篠宮さま「交際エピソード」【立皇嗣の礼で振り返る紀子さま物語】」はこちら>>

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