世界に通用する社会的テーマや
密度の濃い作品を生み出す作家教育


冒頭では「日本で始まった」といいましたが、実は日本に限ったことではありません。「K文学界のヨン様」こと『キム・ジヨン』について言えば、翻訳は日本以外の世界16カ国にまで拡大。遡って2016年にはハン・ガンの『菜食主義者』が、世界的な文学賞「マン・ブッカー国際賞」をアジア人で初めて受賞し、K文学の存在感を示しました。韓国文学がそうして評価されるのは「面白いから」なのですが、それでは「なぜ面白い文学を生み出せるのか」。キムさんはこんな風に考えているようです。

キムさん:日本では多くの作家が独学で世に出ている、個人の才能によるところが多い気がしますが、韓国では大学に作家になるための文芸創作の専攻コースがあります。今活躍している作家の殆どがそうした場所で学び、理論と実践を4年間みっちりと叩き込まれているんです。例えば私が卒業したソウル芸術大学の文芸創作科では、授業は生徒が書いたものをテキストに使っていました。クラス60人分をコピーして配り、みんなの前で発表してこてんぱんにされ、さらに先生からは「あなたは**の作品を読んで、レポートを40枚書きなさい」と宿題を出される。勉強せざるを得ないんです(笑)。

そういう中で、特に最近は、国内の韓国人的な感受性のみではなく、世界に通用する普遍性や密度のある作品を意識した教育になっている気もしますね。2000年代以降は、80年代、90年代によく見られたテーマである政治(韓国の民主化運動)より、個人的なテーマを描いた作品が多くなっているんですが、それでも社会的な出来事や事件などは必ず取り入れられています。そういう部分が、たとえエンターテイメント小説であっても、深みのある世界観に繋がってるのかなと思います。でもそれは文学に限らず。韓国のクリエイターは、社会の動きに敏感に反応し、意識して作品を作っている人が多いんですよね。

 

ちなみにこうした教育は作家のみでなく、例えば演出家の多くは芸術学校や映像学科を、俳優の多くは演劇学科を卒業しています。『パラサイト 半地下の住人』のアカデミー賞受賞や、『愛の不時着』を始め世界的に大ブームを巻き起こしている韓国ドラマ、アメリカ大統領選でも話題に上がった音楽グループ「BTS」……世界を席巻するそうした「Kカルチャー」の流れに、K文学も加わりつつあるのかもしれません。「もちろん文学だけでなく、様々なジャンルの連鎖的な波及効果もあると思います」と、キムさんも付け加えます。
 

 

K-POPで韓国語を覚え始めた人たちに
韓国カルチャーや文学にも親しんでもらえたら

 

キムさんによる「韓国文学の仕掛け方」にも、それに共通するものがあるように思います。例えばクオンが作るシリーズ「韓国文学ショートショート」は、1本の短編を、前開きなら日本語で、後開きなら韓国語で読めるというもの。幕張メッセで毎年行われている「KCON」(Kカルチャーのコンベンションイベント)への出店をきっかけに生まれました。

キムさんの出版社「クオン」が作った「新しい韓国文学」シリーズ(上)と「韓国文学ショートショート」シリーズ(下)。

キムさん:若いK-POPファンが買いそうなものをと考えて、韓国語が少しわかるから、日本語と韓国語両方で読める、でも、長過ぎないもの。Youtubeのチャンネルでは音声もアップされているので、韓国語の勉強にも使えます。ちゃんとした文学なので読み終わった後の充実感はすごくある。これを入り口に韓国文学に興味を持った方には、2000年代以降の作品を揃えたシリーズ「新しい韓国文学」に入ってもらえたら。

「韓国文学ショートショート」シリーズは、前半は韓国語で、後半は日本訳バージョンが掲載されている。

ちなみに「新しい韓国の文学」は、キムさんによれば「まだ日本に紹介されていない作家を知ってもらうための“アンテナ・ショップ”」的なシリーズ。先に上げたマン・ブッカー国際賞受賞作家ハン・ガンや、Netflixでドラマ化された『保健室のアン・ウニョン先生』の著者チョン・セランの作品や、カン・ドンウォン&ソン・ヘギョで映画化されたキム・エランの『どきどき僕の人生』(映画邦題『世界で一番愛しい君へ』)など、現在20冊が刊行されています。

Netflixで配信中の韓国ドラマ『保健教師アン・ウニョン』の原作『保健室のアン・ウニョン先生 』チョン・セラン (著)、斎藤 真理子(訳)

その他にも、ワークショップや読書会、トークイベントや韓国語講座など、チェッコリでは年間100回以上のイベント(現在はオンライン中心)を開催している。5月には『愛の不時着』関連のオンラインイベントを開催し、80枚のチケットが一気に売り切れたとか。もはや出版社、書店というよりは、韓国カルチャーの伝道師のようにすら思えます。

キムさん:スーパーマーケットだって、品揃えが悪ければお客さんは来ませんよね。それと同じで、日本の韓国文学の市場を充実させることで、お客さんを集めたい。時間はかかりましたが、10年20年前にはなかった流れを作ることができたのは、当初からそれをやってきたから。私達はあくまで出版社なので、自分たちの作る本がちゃんと売れる仕組みを作りたいんです。それもこれも、文学には人の人生を変えてくれる力があるから。

海外に伝えるべきものを作ってくれた作家やアーティストに、そしてそれを理解し享受してくれる読者に、そして自身が10代、20代だった頃とは異なる時代のあり方に、大きな感謝の気持があると、キムさんは言います。

キムさん:私と同世代のハン・ガンさん(『菜食主義者』の著者)だって、きっと『キャンディ・キャンディ』を見て、村上春樹や吉本ばななを読んで育ったと思うし、今、韓国ドラマを見ている日本の10代20代がゆくゆくは何か作ってくれると思うんです。循環なんですよね。文化が国や言語を越えて行き来できることにすごく感謝しています。
 

撮影/Junko Yokoyama (Lorimer management+)
取材・文/渥美志保
構成/川端里恵
 
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