自分がされたくないことは、登場人物にもさせない
――同僚の藤崎(佐藤玲)さんも原作では腐女子でしたが、ドラマではその設定はカットしました。これもやはり腐女子というキャラクターを地上波のドラマでやると、誤解を招きやすいからという考えがあったのでしょうか。
吉田 それはありましたね。BLという前提で、読者のみなさんと同じ目線で立ったキャラクターがいるのは問題ないし、私も原作の藤崎さんは大好きなんですけど、実写だと演じるのは生身の人たちです。そうしたときに、他人の恋愛を覗き見てキャッキャと妄想するのはあまりいい行為に見えないというか。少なくとも、私だったらされたくないな、と思ったんです。
――エンタメ上のキャラクターを相手に妄想するのは良くても、身近な知り合いをその対象にするのはどうかということですね。
吉田 安達と黒沢が実際に付き合うことになったからまだ良いですが、異性愛者かもしれない人にBL的な妄想を膨らませてニヤニヤ見つめるのは、男性が巨乳の女性を見てエロいと言ったりニヤニヤするのと変わらないんじゃないかなという引っかかりがありました。私はそういうことを自分がされたら嫌だったので、このお話に出てくるキャラクターにもそれはさせたくなかった。
藤崎さんにしても、はっきり腐女子ではないとしたわけではないんです。明言してないだけで、そこはドラマで描く必要はないと思って。
――藤崎さんが安達と黒沢を見て微笑んでいるのを見て、腐女子と解釈したい人はそうしてもらえればいいと。
吉田 そうですね。そこは自由に脳内補正をかけてもらえれば(笑)。
――非常に新しいと思ったのが、腐女子と明言しない代わりに、藤崎さんを「恋愛がなくても毎日を楽しく生きている女性」としました。実はこういうキャラクターってあまり日本のドラマにはいなくて。
僕も恋愛ドラマは好きですが、最終回が終わって恋が実った主人公たちを観ながら尊い気持ちになる一方、実生活では他者と恋愛関係を築くことを得意としていなかったり、他にもっと興味のあることがある自分を虚しく感じるような、どこか置き去りにされたような寂しさもゼロではありませんでした。でも、藤崎さんというキャラクターが出てきたことで、そんな自分を救ってもらった気持ちになりました。
吉田 これまでもいろんな企画の場で、恋愛に興味のないキャラクターはどうかという提案はしてきたのですが、あんまり理解されないというか。「それ、やる必要ある?」「考えすぎじゃない?」と言われてしまうことが多かったんですね。
でもこの作品では、藤崎さんをアセクシュアル(他者に性的感情を感じないセクシュアリティのこと)やアロマンティック(他者に恋愛感情を感じないセクシュアリティのこと)にしたいと話したら、誰も否定しなかった。その段階からいい現場だなと思ったし、原作者の先生が快くオッケーをくださったおかげで、こうして実現できました。
――ドラマにこうしたキャラクターがなかなか出てこないことで、藤崎さんのような人は世間では「いないもの」とされているような感がありました。でも、こうして描いてくれたことで、藤崎さんと同じように周りに理解されないことに対し「普通を演じるのも慣れたし」とゆるやかに絶望している人からすると、自分の代わりにこういう人もいるんだよと社会に主張してもらえた気がして。小さな声を拾い代弁することが、エンタメの意義のひとつではないかと感じました。
吉田 そうなったらいいなと私も思います。10〜20年前の海外ドラマではフェアリーテイル・ゲイ(辛辣だが的確なアドバイスでヒロインを精神的にサポートしてくれる、おしゃれなゲイの友達のこと)と呼ばれるキャラクターがよく出てきましたが、そうした描写も少しずつ変わってきて、今やっとゲイは特別な存在ではないという価値観が世の中に浸透しつつある。
だから、今度は恋愛に興味のない人だとか、ひとりの人だけを愛せない人とか、そういう人たちを物語のための都合のいい存在として消費するのではなく、個々の背景までしっかりと描いた上で登場させていくことが、自分のひとつの役目でもあるのかなと思っています。
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