「発田さん、最近またよくヴィトンを持っていませんか?」
ミモレで私のコラムを担当してくださっている幸山さんに言われ、はたと気づきました。確かに最近、オシャレの仕上げのバッグ選びに悩み、結局ヴィトンに着地することが多い気がする。なぜ?なぜなの??
そもそも私が愛用しているルイ・ヴィトン、今はこのスピーディ一択。これしか持っていません。長男が生まれた時に「ほんとにおつかれちゃん、ワタシ!」ということで、六本木ヒルズのルイ・ヴィトンでカスタマイズオーダーしたもの。
私のヴィトン遍歴、学生の時にはモノグラムの巾着バッグ(懐かしい!!)、エピのお財布やバッグ、など一通り持っていました。思えばその頃って、ひとつのブランドが流行ると街中がそのブランドで溢れる、みたいな感じでしたよね。「トレンド」「流行」みたいなことが、雑誌のページをめくっても、街に行っても、目に見えてはっきりと分かった。ところがそのうちに、ブランドそのものの選択肢が増え、感覚としてもみんなと同じであることが美徳ではなくなり……。“自分らしさ”や“個性”追求の時代になっていくのでした。
と、昔話を語り出すと止まらなくなるお年頃でございます。(若い頃、おじさんが昔話をするのをふーーーーーーーん、と聞いていたものですが、今では自分が若いお嬢さんたちに昔話をしかねない!!危ない! でもお嬢さん方、その時にはぜひ優しく聞いてください。)
例えばこの日。コートもスカートもネイビーで、全身シックな色=お地味警報が発令しています。撮影だったこの日の朝、じゃあバッグで差し色でもする?と思い、ベージュのバッグを持ってみたりあーだこーだとしたのですが、なんとなくしっくりこない。で、ヴィトンにしたところ、「これだわ!」となったというわけなんですが。しかし書きながら、思いました。なぜヴィトンに着地したんだろ?
もう少し、自分の心を分析してみます。ちなみにこの日は、ニットとカーゴワイドパンツに、ミディアム丈のライトコート。コートがアイボリーなので、スタイリング的には特に差し色はなくても成立します。黒のバッグを持っても問題はない。
が、このスタイリングに関して言えば、黒いバッグだと決まりすぎてしまうというか、まとまりすぎてしまったんですよね。この「まとまりすぎる」ということ。これは、婦人の世界においては「老ける」とニアリーイコール。アイテム同士を直球の、素直な相性だけで合わせていくと、きちんとしすぎてしまう。
もちろん、きちんとすることが必要な時にはこのセオリーを使えばいいのですが、毎日のカジュアルにおいては、どこか「あえてハズす」ことがオシャレ見えにつながっていくと思っています。
そうか!わかった! この「あえてハズす」の役割を、ヴィトンが担ってくれるのかもしれません。モノグラムのヴィトンの場合、レザーじゃないから重たさも出ず、モノグラムが「柄」になるからかっちりしすぎず。前出のネイビーのスタイリングの日も、“まとまりすぎ”をヴィトンが回避してくれたのか! 書きながら、理由が分かってスッキリしました(笑)!
ちなみに、雨の日もヴィトン率が上がります。なぜなら基本的にハンドル以外、コーティングされたファブリックだから。雨に濡れても拭けばOK!という気楽さから、ヴィトンに手が伸びます。
こうして考えてみると、やっぱり「名品」と呼ばれるものには力があるんですよね。たとえ出番が減って少し寝かす時期などがあっても、定期的にマイブームがやってきて使いたくなる不思議。愛用11年目でハンドルのアメ色もいい感じになってきたので、これからも大事に使います!
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