他人の「推し」も大切にできるように

 

昔はイラッとする人に出会うと「死んだらええのに」と心の中で舌打ちする、怒りの導火線が2ミリしかない人間だったのですが、自分にとっては嫌な人でも、誰かにとっては推しなのかもしれないと考えると、容易に許せるほどの寛大さはなくとも、ぐっと我慢できるほどの耐久性は身につきました。

 

この人も誰かの推しかもしれない。それは、心の容量を2テラバイトくらい増設する魔法の言葉。同じ理屈で「この人にも家族がいるから」という擁護の仕方もありますが、このフレーズは僕にとってはむしろ地雷。親には「育て方を間違えたんじゃないか」と本気で説教したくなるし、配偶者なら「この人をパートナーに選んだ時点で同罪」と余計にイライラする。だけど、この人も誰かの推しなんだと思うと、ボロカスに言うのは胸が痛むから、推しの威力は絶大。

同じように、芸能人の悪口というのも全然言わなくなりました。もちろん苦手だなと思う人もいるにはいますが、そういう人にも応援しているファンがいることは想像できる。自分の推しを大切にすることは、誰かの推しも大切にすることなのです。