@ともみさん
10年前のあの日、私はトルコ旅行中でした。生まれ育った国と異なる風景の中、新鮮な気持ちで過ごした数日目の朝、「日本が大変、大丈夫?」と心配され震災を知りました。異国の地でテレビに映る映像に言葉が出ず、帰りの便が予定通り日本に着き、当時住んでいた実家に帰り着くまで足元の浮遊感は続きました。
その時一緒に旅した人と結婚し日常を積み重ねてきた今、生まれた子どもが「ふるさと」と思う風景は何だろうと春になると思います。
 
@チュニさん
当時在住していたシンガポールで震災を知りました。連日テレビの映像を見ても現実味がなく信じられず、生まれたばかりの娘を抱きしめずにいられませんでした。当時は子育てが楽しい反面、出張で飛び回る夫に頼れず、弱音も吐けず、今、目の前にいるこの子の命を守れるのは私しかいない、常にそんな緊張感を抱えて過ごしていました。何が起こるか分からないからこそ、様々なリスクを考える癖がついたのもこの頃からです。
@よっぴーさん
あの日私は赴任先のフランスからのベルギーに旅行中だった。同僚と入ったお店で「日本人か⁈地震で500人位の人が亡くなっているよ」と言われ、私の語学力の低さからの聞き間違いかと思った。ホテルに着いて見た津波の映像。不安で眠れぬ夜を過ごした。次の日から街で出会う人から、日本人というだけで励ましの言葉をかけてもらった。言葉は通じなくても気持ちは伝わる。世界共通の悲しみと不安。今私達はまた同じ敵に向かい戦っている。
@はるちゃんさん
LAにて0歳の息子に授乳しながら、海が陸地を飲み込んでいくNHKワールドの映像を呆然と見ているだけでした。寄付やファンドレイズ企画に参加するのがせいぜいの私に、見知らぬ人からも言葉をかけてもらい……。当時英語が分からず苦戦していた3歳の娘の脳内は今や英語で一杯。そんな子らに「日本と海外との懸け橋の一端でも担えるよう世の中の役に立てる人間になってほしい」という思いをしつこく伝えようとする日々です。