1 産む性としての責任をかぶる
新型コロナウィルスの蔓延が母親になろうとする人を減らしている。妊娠届は令和2年1月から10月までの累計で前年度よりも3万9000件ほど減少した*4。毎年の出生数は減り続けているが、コロナ禍で下押しされ、少子化が10年前倒しで進むのではないかという指摘もある*5。
現代の出産は医療に支えられているので医療が崩壊している環境では、安心して産める状況や場所が確保できるか妊婦が不安になるのは当然だろう。だが、公的機関は不安を解消する役割を果たすどころか、路頭に迷わせている。2021年1月末にコロナ患者を集中的に受け入れることになった都立病院で出産を予定していた臨月の妊婦が、1月9日に突如受け入れできないと伝えられたというのだ*6。信じがたい対応だ。出産予定日とは目安にすぎず、前後あわせて5週間は正規の予定期間である。早産の危険も常にある。つまり、いつ産まれてもおかしくない状態で待機している人に、「どこか別の場所を探して産んでください」と急に連絡が入ったのである。
厳しい環境のもとで母親になろうと決意した人たちの感情を社会は逆なでし、自己責任でなんとかするようにと追いやった。
望まれる妊娠が減るいっぽうで、望まない妊娠に悩む女性が増えている。各地の妊婦向けの相談窓口には2020年4月以降、若い世代の相談が急増した*7。アルバイト収入が減って売春に至ったり、家に居づらくなった未成年者がSNSを介して性被害にあったり、外出自粛や休校措置で屋内で過ごす時間が増えたりしたことが影響していると指摘される。子を授かっても母親になることを止めるという選択肢がある日本では、その生命の大半が中絶で終わることになる。
もっとも、中絶を禁止すればその分、女性が母親になろうとするかというと、そんなことはない。
例えば保守的なカトリックの強い影響下にあるポーランドは人工妊娠中絶に対して寛容ではないが、出生率は2017年現在1.4で、日本と同じ程度に低い水準だ。2020年10月にポーランドの憲法裁判所は胎児に障害があった場合の人工妊娠中絶を違憲とし、これにより、事実上ポーランドではほぼすべての中絶が禁止された。ポーランドはバックラッシュのただなかにある*8。
母親の人権と、体内に宿した胎児の人権にどうやって折り合いをつけるのかという問題に納得のいく説明を、私はいまだ見つけられていない。
生殖をめぐる技術革新は目覚ましい。じきに胎児の遺伝子が余すところなく妊娠の初期に読み込まれるようになるだろう。結婚前にお互いの遺伝子情報を交換し合う時代が来るかもしれない。デザイナーベビーへの欲望に、歯止めがきかないような予感がする。
なぜなら、日本には、生まれて間もない子を殺める「間引き」という風習があったからだ。日本人の研究者が十分に分析しきれていないデータベースを用いて、厳密な実証により読み解いた学術書、〝MABIKI〟は、闇に葬られがちな事実を丹念に掘り起こしている*9。驚くべきことに、この風習は地域によっては1950年頃まで残存していたとされる。
「間引き」は、「子返し」ともいわれ、農耕作業で他の植物の育ちをよくするために行われる行為のメタファーである。どちらの言葉も、人間による生の選択という行為をひっそりと自然の一部に還元してしまおうとする。
著者によれば、子の1人が家産を継承する直系家族規範と「間引き」は密接に関係する。嬰児殺しは貧しさゆえに行われるとは限らない。先に生まれた子や親たちがよりよい条件で過ごせるよう、階層にみあった生活水準を維持するために子の数を減らすのである。働き手でもある母親が育児に関わることで労働にさしつかえるからと、身近な人々が産婦に間引くよう圧力をかけることもあったようだ。
この「間引き」を戒めようとする僧侶や篤志家が描かせた絵によれば、嬰児殺しに直接手を下す者はおもに母親であった。ときに、母は夜叉として描かれる。この啓発によってどれほど間引きが減ったのだろう。まさに生殺与奪の権を手にしているのは母親だが、自ら選択できる余地が彼女の人生にどれほどあったのだろうか。
身体が自己決定の下にあるとは言い難い局面においても、産む性として女性は自身に宿される生命への責任をかぶせられる。胎児の生命を自ら決断して途絶する汚れ役を引き受けない限り、母親という存在になることが避けられない。
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