「オリンピックとか、普通に考えて無理だし中止でしょ」というのが、日本の一般人を含めた世界の大方の感覚だと思いますし、日本のことを大して知らない、もしくは日本に全然興味がない国は、今もそう思ってると思います。私は「中止派」ですが、現時点で「五輪が開催されてしまうこと」と同じくらい不安に感じているのは、日本の人々が「流れ的に中止でしょ」と無邪気に高をくくっていることです。

いかんなあ、みなさん。日本の伝統をナメてもらっちゃあ困ります。真面目な話、大声で「やめれーー!!!」と言い続けないと、いざとなったら理性も合理もうっちゃって「根性で突っ走った先にこそ勝機あり!」な特攻精神と、「苦難は乗り越えてこそ価値がある」みたいなお涙頂戴話で盛り上げ、緊急事態宣言中とかでも「コロナはアンダーコントロール。今こそオールジャパン!」とか言いながら強行開催されちゃいますよ。やる気満々ですから、IOCもJOCも政権も。

ワシントン・ポスト(IOCはボッタクリ男爵)NYタイムス(五輪はスーパースプレッダーイベント)などアメリカの媒体が痛烈に批判し始めたのも、彼らは経験的に「カミカゼ日本人なら特攻開催しかねない」って分かってるからじゃないかしら。あ、それとも日米首脳会談においてアメリカ側が感染リスクから嫌がった「バイデン大統領とお食事」の絵面を、ハンバーガーひとつでもいいから作りたがった、そういう危機意識のユルさを目の当たりにしたからかな?

写真:YUTAKA/アフロスポーツ



美談の象徴として担ぎ上げる人たち


そんな中で、池江璃花子さんが大変な目にあっているという記事には、心が痛みました。SNSで「出場辞退」を迫るとか、ほんとに世の中どーなっちゃってるんでしょうか。もし私が池江さんの友達だったとしても、でもってもし本人から相談されたとしても、んなことよう言わんわ。テレビでずっと見てたから、昔から知ってる「近所の璃花子ちゃん」くらいに思ってるんでしょうか。万が一そうだとしても、ほっとけや!の世界だけども。

 

さておき、この騒動の論点は、なんで他のアスリートでなく、多くの人が池江さんに「出場辞退」を迫ったのか。それは端的に言えば、池江さんが「オリンピックの美談」の象徴だから。本来なら開催されるはずだった昨年の五輪への出場を断念し、闘病生活を経て復帰、今年開催の五輪への出場権を勝ち取ったーー彼女は今年のイレギュラーな展開だったからこそ起きた奇跡の体現者です。こういう美談はテレビや広告業界の大好物なわけで、彼女は昨年7月の東京五輪開催1年前セレモニーに出演しています。正直言えば、このイベントのベタベタな感動演出を見た時、私は「なんてひどいことを……」と思いました。池江さんの本当に感動的な努力は、あの瞬間にオリンピックという商売の看板に転化され、結果として、彼女が矢面に立たされることになるとわかったからです。

アスリートが五輪を望むのは当たり前だし、池江さんもそういう思いから、自分の意志であのイベントに出演したんだろうとは思います。でもそこで彼女の口から出た、「1年後に五輪ができる世界になっていたらどんなにすてきだろうと思います」というセリフからも分かるように、あの時点ですでに「五輪を手放しで応援できない」という空気だった。もっと言えば、五輪は純粋な彼女が夢に見るクリーンなスポーツイベントでなく、魑魅魍魎がうごめく金と利権にまみれた世界だと分かっている大人は、周囲にもきっといたはずです。なのに彼女のために「やめたほうがいい」と冷徹にアドバイスする人が、なぜいなかったのか。理解に苦しみます。

極端な話、池江さんが心から「五輪に出たい」と望んでいるからこそ、状況は彼女にとってより辛いものになっています。なんでって、国民の7〜8割が五輪中止・再延期を望んでいると言われる昨今、開催派の人たちは「池江さんが見たいから」とほざきながら論点をすり替えつつ、彼女の「五輪を開催したい」という切実な思いを「弾除け」に使っているからです。自分の主張を通すために彼女を利用するという意味では、「五輪への出場辞退」を迫る人とたいして変わらない。善人面の裏に金と利権があるなら、マクロ的にはより悪辣かもしれません。

コロナ禍の五輪開催と池江選手応援は別問題


誤解なきよう言えば、私だって池江さんというスポーツ選手を応援している一人です。五輪開催に賛成か反対かなんて関係なく、あの頑張りに何も感じない人なんていないんじゃないか。でもその素晴らしさ、美しさ、感動は、「コロナ禍の五輪開催が受け入れられるか」の判断とはまったく関係がありません。「愛と勇気と感動」で全日本人の免疫力が爆上がり、焼け野原になったシャッター商店街には、一斉に金のなる木の街路樹が!みたいなことがあるんだったら別ですが。


こういう事態が起こるのは、日本における「政治的・社会的な発言アレルギー」とも無関係でないように思います。「私はスポーツ選手(俳優、アイドル、歌手、芸人)だし、難しいことはわかりません」的なステレオタイプ=「一途な不器用」が日本人は大好きで、その裏返しとして「スポーツ選手(歌手、俳優、芸人)ならスポーツだけやってろ」みたいなことがあるわけですが、「若くて、有名で、好感度が高くて、純粋」というタイプほど、利用価値が高く、利用しやすい存在はありません。

大人は若い世代を消費しないよう。若い世代ーーもしこのコラムが若い世代に届くならーーには、「大衆の夢」と「金儲け大好きな大人」に消費されるだけの、世の中のステレオタイプ賛美に決して乗せられないよう。ツイッターのクソなDM送ってくる人は片っ端からブロックし、友達以外のリプを停止して、「私は私で生きていくので、アドバイスはご遠慮ください」と宣言してアカウント閉鎖してもいいし、SNSにおける「したたかなビジネス好感度モード」を育て上げてるもよし。現代の魔除けは、自分で考え、意見を持ち、それを口に出し、嫌われるのを恐れないことしかありません。

前回記事「新今宮ワンダーランドから東京五輪まで、日本にはびこる「エモい」のキモさ」はこちら>>