ミモレ読者の皆さま、こんにちは。今日は『海外で暮らす女性の生き方』3回目のインタビューです。

第1回目ニューヨークの渡会里子さんに続き、学生時代のクラスの友達。第2回目イタリアの松井純子さんと同様、サークルも一緒。アメリカへの夏季短期留学時はルームメイトでもあった桜さんにインタビュー。四半世紀の時を経て、同じ国に暮らしているという不思議な縁を感じています。


ーースウェーデンに興味を持ったきっかけは何でしょうか?

中学生の頃から、ヨーロッパに行きたくて特にイギリスに憧れていました。英語が好きで高校時代にペンパルが10カ国にいて、中でも一番長く続いたのがスウェーデン人でした。20代の頃に「これからは英語にもう1ヶ国語を」と聞き、イタリアも好きでしたが英語も使えるヨーロッパと考え、北欧がいいかなと。

北欧は、みな早く帰り、オレンジ色の灯の中、家族団らんしている。みんなが本当にそうしていると想像し、いいなぁと思っていました。今のように情報が溢れている時代ではないので、昔読んだ絵本や本の影響かな。小学生からじゃがいもとバターととうもろこしが大好きで、結婚相手は北海道の人と決めていました。寒い北が好きだったのかも。おいしいじゃがいもをほくほく食べていれば大丈夫と思っていました。

とりあえず行って来まーす!

ーー妻の夢に夫が同意し、一緒に旅立ったカタチ。なかなか出来るようで出来ないと思いますが。

若いって凄いですよね。夫も良く一緒に来てくれたと思います。親にも反対されていましたし。私がスウェーデンはこうらしいよ、ああらしいよ、といつもあれこれ言っていて、その気持ちに応えてくれたのかな。凄いと思う。自分にできるか分からないです。

お金が貯まったらと思っていたけど埒があかず、結局、結婚して丸2年経つ前に夫婦で仕事を辞めて旅立ちました。私は本気で永住するつもりでしたが、さすがに両親には言えず。取りあえず行って来まーす。みたいな感じで日本を出発したのが30歳直前でした。

2014年スウェーデンにて。なんと、パートナーの出身地は北海道でした!!

時には人事も脅してみる

ーースウェーデンでは仕事も無く、どのように生活を立ち上げていったのでしょうか?

お金も無かったので、夫だけ学校に通い、私は日本に関するイベントのお手伝いを無給でしていました。学生ビザで入り、切れる直前にそのイベント会社で就労ビザを出してくれることになりギリギリ残れました。夫はおすし屋でアルバイトしながら、お金も食べるもの無いような生活が1年続きました。

ベビーシッターの仕事が好きで、起業。ビザは3回申請して3回ダメと言われたら、もう取れないんです。2回申請に失敗し、次ダメと言われたらどうしようと思っていた矢先、ジョブエージェンシーから大手通信機器メーカーの副社長秘書の話が来ました。一旦は断りましたが、また声が掛かり、これは意味があるのかなと思い、結局、就職しました。日本で大手家具メーカーの社長秘書をしていた経歴と経験が思いがけず活かされ、人生に無駄は無かったなと思います。

入社し、無事ビザは取れたもののなかなか延長手続きが進まず人事に「私のビザがおりないと、副社長の出張について行くことが出来ない。彼の日程を変える気ですか?」と、半分脅す感じで交渉したら、人事が永住権を取ってくれました。永住権取得はとても難しいことだったのに3年目で取得し、周りは驚きました。

スウェーデンでピクニック! ピクニック写真来てないよ〜。いや、右横に居るから。老眼でイマイチ気付けず。学生時代には想像すら出来なかった老化ぶりにふたりで大爆笑になった1枚。

ーーその後、リストラを経験されていますよね。

2009年に長男を出産し、復帰しようとしたタイミングでリーマンショックでリストラの対象に。代替えの提案もありましたが、退職金がかなり出るという条件だったので思い切って退職を選びました。2011年には次男を出産。実は1度流産を経験してからこどもが出来ず、鍼治療の先生に、あなたは妊娠を継続する力が弱いから動いちゃダメと言われていたので、働かずに育児だけできた事が良かったのかもしれないですね。今思えば、リストラという不運ではありましたが、幸運でもあったと思います。

 
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