皆さん、こんにちは。梅津奏です。

東京梅雨入りしましたね。天気予報が怪しい朝、履く靴のセレクトに悩みます。いい加減、雨対応のパンプスを手に入れようかしら……。

どしゃ降りでも安心なのはローファー。懐かしのHARUTAです。高校生のとき毎日履いてたな~。

仕事しんどいな~ってときとか、凹むことがあったときは、雨が降っていたとしても少し歩いて帰ります。そういうときは頭の中がぐちゃぐちゃで、思考の巡りが悪くなっているので、下半身をしっかり動かして血流をよくしたい。傘の下で一人、落ち着いて考えごともできますしね。


「あーあ、なんでこうなっちゃうのかな」
「どうしようもないな、これ」

そんなブルーな気分のとき、決まって自分に言いきかせる言葉がいくつかあります。今日は、そんな「回復の呪文」を私に授けてくれた本たちをご紹介しますね。


「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹

 


Pain is inevitable. Suffering is optional.


年季の入ったマラソンランナーでもある、小説家の村上春樹さん。ランニングを習慣化していて、定期的に各所のマラソン大会に出場しているみたいです。「一に足腰、二に文体」を指針として掲げる(?)村上さんが、「走ること」と「小説家であること」についてまとめたのがこの本です。

冒頭の言葉は、村上さんがとある雑誌のマラソン・ランナー特集を読んでいて見つけたそうです。フル・マラソンを走っている間、ランナーたちはどんなマントラを唱えて自分を励ましているか、という質問に対する一つのアンサー。

あえてごく簡単に訳せば、「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」ということになる。例えば走っていて「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、「きつい」というのは避けようのない事実だが、「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に委ねられているということである。


自分が傷ついていること、その事実を無視することはできません。無視できたと思ったとしてもそれは錯覚みたいなもので、後からきっと無理が出る。だから痛みは痛みとして認めよう。でもそれに捉われないことを自分で「選択」することはできる、と思えた言葉です。自分の意思と選択で、苦しみの量は減らせると思うと勇気が湧いてきませんか?


「本日は、お日柄もよく」原田マハ

 


『困難に向かい合ったとき、もうだめだ、と思ったとき、想像してみるといい。三時間後の君、涙がとまっている。二十四時間後の君、涙は乾いている。二日後の君、顔を上げている。三日後の君、歩きだしている』


この本、私のブログに二回目の登場です。それでも紹介したかったこのフレーズ。

普通のOLだった主人公の「こと葉」が、伝説のスピーチライター久美さんとの出会いをきっかけにスピーチライターの道へ。幼馴染の選挙活動に参加し、スピーチづくりを通して「言葉の力」に目覚めていく、というお話。

政権交代を賭けた選挙戦に出馬した幼馴染が、重要なイベントの前夜にとあるトラブルに遭ってしまった夜。「どうしよう」と電話で泣きついてきたこと葉に、久美さんがかけたのが冒頭の言葉です。


とまらない涙はない。乾かない涙もない。顔は下ばかり向いているわけにもいかない。歩き出すために足があるんだよ。


頭ばかりつかって生きていると、自分に手足があることを忘れてしまいがちかもしれません。辛いとき苦しいとき、体がこわばって動かしにくく感じることはありませんか?私はよくものを落としたり何かにぶつかったりします……。

人間は、全身と五感をつかって生きている。そのことを忘れずにいたいと思いました。

嶌村さんのブログで紹介されていた、松栄堂のお香。ずっと気になっていて、先日やっとお店に行けました。五種類入ったアソート「薫路」を購入。私の名前が入ったお香もある……♪ 「Lespoir」は母にあげよう。


「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」Jam

 


「多分そいつ今ごろ…パフェとか食ってるよ」


書店でタイトルを見た瞬間、ズドーン!と胸を撃ち抜かれました(笑)

SNSやリアルの人間関係において、ざらっとすること、もやもやすることとどうやって付き合っていったらいいのか、四コマ漫画とショートエッセイで軽快に綴られています。

冒頭の呪文のことは、表紙ですべて説明されていますね、嫌なことを言われたとき、言われた方はそのことを悶々と考え続けてしまいがちだけれど、言った方はそんなこと忘れて、のんきにパフェ食べてるのかもしれない。理不尽をぶつけられた方がそのことに囚われている必要はない、というメッセージです。いやほんとに、これ真実だと思う。


心とは本当にとっても厄介で、危険なものなんです。そんなものを四六時中持ち歩いていて、しかもSNSという、距離も時間も無視して人とつながってしまう世界まで持ち歩いて、人間というものは結局のところ、とてつもない「心中毒」の状態なんでしょうね。

じゃあ心がそんな厄介な代物なら、専門家に任せるしかないのかというと、絶対そうじゃあないんですね。
だって心は、最後は自分の心を通じて研究するしかないからです。


あとがきで、監修を務めた名越康文さんはこう書いています。日々、ふくれたりへこんだり、明るくなったり暗くなったり忙しい自分の心。色々ある毎日をなんとか乗り切っていくために、「いや、あいつきっと今ごろパフェ/ラーメン/からあげとか食ってる」みたいな自分なりの裏技を、コツコツ身に着けていくことが大事なんだな~と思います。


こんな感じでしょうか。
ああ、このブログを書いて、私の心も少し浮上したようです(笑)

私の「回復の呪文」、いかがでしたか?皆さんの呪文も、よかったら教えてください♪

 

先日訪れた、とても気分の良かった場所。緑がいっぱいで、光が差し込んで、深呼吸したくなる感じでした。