たとえば女性の参政権はアメリカでは1920年、イギリスでも1918年に導入されたものの、財産制限や年齢制限が男性よりも厳しく、男性と同水準に達したのはどちらも1928年になってから。フランスは1944年、スイスに至っては1971年です。
いずれも、これらの国で一般的に歴史上「民主化」が起こったとされる時期からかなりの年月を経てからの導入であり、その間の、女性の参政権すらなかった民主主義は果たして本当の民主主義と言えるのかという問いが浮上します(ちなみに女性の参政権を最も早く導入したのはニュージーランドで、1893年だそうです)。
参政権、被選挙権……と、いわば欧米の女性たちもそこから様々な権利を獲得していったということでもあると思いますが、前田健太郎さんは著書で、このように「女性がいない民主主義」では女性の利益に関わる政策がそもそも政策争点となりにくいこと、日本でとりわけ女性の候補者が少ない理由、さらに様々なクオータ制(※)などを紹介しています。
※編集部注:議員や会社役員などの女性の割合をあらかじめ一定数に定めて積極的に起用する制度のこと
男女不平等を直接扱った政策はもちろんですが、表向きはジェンダー中立的な政策でも、実際には男性と女性に異なる影響をもたらすことがあります。そうしたことが起きないよう、最近はあらゆる政策においてジェンダーに基づく不平等に注意しながら政策形成を行うことを「ジェンダー主流化」と呼んで、各国が目指しているとのこと。
夫婦別姓は男女にかかわらず、姓を変えたくないのに変えなければならない人に不利益をもたらすものではありますが、これまで変えてきたのは女性が圧倒的に多数。今回の裁判で意見を示した最高裁判事15人のうち、女性は2人だけでした。この比率が異なれば、出てきた結論も変わった可能性はあります。
今回のトピックに限らず、明治時代に倣った各国が今また変わる中で、日本も政治や裁判所の男女比率を鑑み、その選出方法や様々な政策・法制度を見直していくべきではないでしょうか。
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