フリーアナウンサー馬場典子が気持ちが伝わる、きっともっと言葉が好きになる“言葉づかい”のヒントをお届けします。

 

先週の「秋篠宮眞子さま年内ご結婚」の報道には驚きました。
個人的には、お二人がお幸せで、ご家族も笑顔で、ということであればそれで十分なので、嬉しい驚きだけなら良かったのですが……。
4年前の「ご婚約内定」の時の記憶と懸念が蘇りました。

 

ご婚約内定は本来然るべきタイミングで宮内庁から発表されるものなのに、しかもその情報は社会にとって急を要するものではないのに、スクープだったことに、違和感を覚えました。
その当日に記者会見した宮内庁長官は、婚約内定発表や結婚時期について「現時点では未定」「申し上げる段階ではない」などと話していました。

そして4年前は、たとえば国会でテロ等準備罪法案の審議について動きがあったその時で、それなりの紙面と時間を割いていたと思うのですが、スクープ当日の夜から、報道(特にテレビ)はほぼご婚約内定で占められた記憶があります。お祝いムードなど、その時の「空気」に流されるかのように、報道に極端な偏りが出たことが、今回思い出された懸念です。

今は、コロナ対策だけでなく、衆議院解散や自民党総裁選(のあり方や進め方が国民のためなのか、政治家のためなのか)、アフガニスタン情勢(から見える世界の変化、日本のあり方)、話し合うべきことがたくさんあるのに臨時国会は開かれないことなど、社会にとって大切なことが、深く掘り下げられることなく、薄れてしまわないか、が個人的には心配です。

(ちなみにこの原稿はニュースの出たその日に書いたものでしたが、続報ということもあり、前回ほどの偏りはなくホッとしました。
さらに自民党総裁選が盛り上がっていますが、こちらも「ムード」や「空気」に流されることなく、中身や本質をしっかり見ていきたいと思います)

国民栄誉賞が政権の支持率アップに利用されている、と言われて久しいですが、
疑ってかかることとは別の次元で、
「なぜこのタイミングで?」
「なぜこの媒体が?」
など、違った角度から見たり、様々な視点を持ったり、深く考えたり、視野を広げてみたりすることは、情報を(ひいては社会を)より正確に把握するために必要不可欠ですね。

新聞やテレビなどのいわゆる既存メディアの情報は、限られた紙面や時間、予算、人員、時にはしがらみ……などが原因で、どうしても限界があります。
だからこそ、情報を主体的に読み解く能力「メディアリテラシー」の重要性が20年ほど前から伝えられてきました。

そして今は、そんな既存メディアに見向きもしない人が増えていて、情報源がネットのみで完結している人も少なくないようです。
ところがネットでは、AIが本人の傾向や好みを分析して、情報を示すアルゴリズムが働いていることも。
つまり、本人が強く意識して、幅広く情報を集める努力をしないと、違った角度から見ることも、多様な視点を知ることも、深く考えたり視野を広げたりするきっかけすら、なかなか得ることが出来ない時代になっています。

情報そのものが、真実か? 偏っていないか? だけでなく、
自分が触れている情報の範囲、
情報の出どころや出方、
反対に、出てこないのはなぜ?
ということも含めて考えていく能力が、求められている気がします。

約20年前、尾木直樹先生と福澤朗さんとメディアリテラシーの番組をやったことも懐かしいです。
 
小説でも新聞でも行間まで読んだり、考えながら読んだりするので、時間がかかっちゃうタイプです……。


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