多様性とは、自分を変えずにそのまま受け入れられること


安藤:「多様性」というと、素敵だなと思える反面、自分の軸や強みが必要とされる気がします。現代って「自分は何者か」と悩んでいる人が多い。自分をあいまいな存在として受け入れることも、相手をあいまいなまま認めることも、難しいと感じます。

佐渡島:みんなSNSの中で「多様性」と言いながら、結局はフォロワーの多さとか、お金を稼ぎたいとか、良いとされているものがこれまでの強さと結びつくことはありますよね。

でも、今までなら絶対に不利だと思っていたことが、不利じゃなくなっていくのが多様性なんじゃないかな。今は「何らかの多様な強みを持たないといけない」と考えてしまっている。そうじゃなくて、何一つ自分を変えないまま、多様性として受け入れられる社会を作っていく。「強いは弱い、弱いは強い」みたいなのが、多様性が受け入れられる社会で、今そういう社会へ変化しつつあると思っています。

例えば、「オリヒメ」というロボットがすごく素敵で。遠隔で操作するロボットで、動かしているのは難病の方など寝ている人たちなんです。ベッドから起き上がれないし話せないけど、視線で機械を操作している。視線で絵も描いているんですよ。視線で描いた絵や操作しているロボットの方が、リアルな人よりも個性を発揮するということが起こり得る時代になってきている。

 

安藤:青年漫画や文学のあいまいさについても書かれていました。少年漫画と青年漫画の違いの話が面白かったです。

佐渡島:やっぱり子どもはまだ価値観が定まっていないから、少年漫画では「これが良い友情、これが勝利」と一つの正解を示すんですね。例えば『ワンピース』で仲間が死にそうなときにルフィが助けないという展開はほぼ起こらない。

一方、『宇宙兄弟』では月面で誰かが死にそうになったときに助けずに帰ることを、主人公が選ぶかもしれない。助けずに帰り、仲間の死を背負いながら生きる葛藤。正解がない世界をどう生きぬけば良いのか、あいまいさをどう耐えれば良いのかということを描くのが青年漫画であり文学だと思っています。僕は正解のないところをさまよったり、思考したりするのが楽しいので、青年漫画や小説中心に仕事をしているんです。

安藤:大人の感情表現は、笑顔で「さようなら」を言うとか、身体の表現と感情がちぐはぐだったりしますね。