カフェが好きです。

前に住んでた家の近くに、よく通ったカフェがありました。打ちっぱなしの壁にヴィンテージ風の家具、片隅では服もちょこっと売っていたり(←高いやつ)、エッジィな香り漂ってたけど、客層はご近所さんが半分、ノマドワーカーが半分みたいな店。エッジィかつ牧歌的。これ如何に。

だいたいいつもカウンターで常連が雑談をしていて、でも常連でなくてもいづらくなくて、犬連れにも子ども連れにもやさしいので、休日には家族でおじゃま。うちの夫は若い雇われ店長と仲良くなり、彼のことを”お兄さん”と呼んでいました(兄貴って意味じゃなくて、店員さんに呼びかけるときの”お兄さん”。そんな日本語、誰に習ったのかね)。夫がシンガポールに引っ越すときは、友人を集めてそこで送別会をしました。ちなみにフランス人である夫は誕生会も送別会も自分幹事で人を集めます。その強心臓、見習いたい(←見習わなくていい)。

その後ビルの建て替えのため、カフェは移転し名前も変わりました。広くなって立地がよくなり、ますます繁盛。席数は多いのにいつも混んでいて、お客さんは学生さんや若い人が増え、近所のレストランのおしゃべりシェフやフレンチブルドッグ連れのおばちゃんなど常連さんの姿は消えました。

私も2度ほど行って、2度とも所在なく列にならび席が空くのを待ちました。デカフェがないのでハーブティを注文します。ひんやりとしたスチールのテーブルに置かれた白磁のティーポットは、ぽってりしていて何だか場ちがいな感じ。硬質な壁にBGMがはね返って、若いころ夜通し遊んで最後に立ち寄る店のような音響で、朝ごはんを食べに来たはずなのに夜みたいな気分。⋯⋯いや、場ちがいなのはポットじゃなくて私なのか。店に立つ店員さんたちの中に、移転前にはひとりで切り盛りしていたお兄さんはいませんでした。

ある日、シンガポールの夫から、「この店、行ってみて」と、知らないカフェのインスタアカウントが送られてきました。ここも移転した店の系列店か何かということで(←話半分にしか聞いてない)。しばらく忘れていたのですが、たまたま近くに行ったときに思い出し、店を探してみました。通り過ぎざまにちらっと見てみたら、黒づくめの服を着たお店の人も私の方をちらっ。

見知らぬ人なのに、なんだか知り合いを見るようなその視線が気になり、Uターンして店に寄ることにしました。カウンターで注文する段になって、黒づくめの人はあのお兄さんだったとようやく気づきました。

「ぜんぜん誰だかわからなかった」
「髪伸びたからですかね」
「マスクもしてるしね」
「僕、独立したんですよ」

聞くと古いビルからの退去後もこの場所で細々と続けていたが、このたび店を譲り受けたそう。

朝の店。まっさらな内装。一面ガラス張りのエントランスからは、朝にはとうめいな朝の光、夕には金色の夕の光、だけど一日中、清浄な朝の空気を感じるような店。清潔なコンクリートの壁に明るい木目の家具。ところどころに色褪せたドライフラワーがふんわりと飾られています。

次々訪れるお客さんとのたわいないおしゃべりが、まぁ丸聞こえ。地元の子連れ客が梅干しをお兄さんにおすそ分けし、柴犬連れの近隣の大家さんが散歩の途中にコーヒーを飲みにきます。店をとりまく街の雰囲気が、お客さんといっしょにドアから流れ込んでくるよう。

カフェは好きだけど、好きなカフェは多くないのです。特に人と会うのに使うのではなく、ひとりで過ごすために行く場所は、相性が合わないと長居がむずかしい。合わない個性の店より、スタバの方が落ち着けます。

お兄さんのカフェを再発見した私は、「私の好んだあの店はこの人が作ってたんだ」と初めて知ったのでした。お兄さんと夫は仲良かったけれど、正直私は挨拶くらいしかしなかった。店に顔見知りがいるのはありがたい反面、しゃべりすぎるとかえって居心地が悪くなりそうなので、距離感には気を使います。

だからかなのか、彼の作る店の内装、空気感、淹れるコーヒー(デカフェ)がこんなに好みに合ってたことが、なんか衝撃。もしかしたら飲食店で働く人には当たり前のことかもしれないけど、ここまで個人が色濃くでる仕事ってすごい。奇を衒ったところは何もない、コーヒーが売りの今っぽいお店なのです。似たような店はいくつもあるけれど、その内実はぜんぜん違う。人は好きだけど、好きな人は多くないのと同じ。そうか店って人なのか。

なんというか、いい仕事をしなきゃね、私も⋯⋯(職種ぜんぜん違うけど)と思いました。

↓家族のフランス旅は続きます。カフェ風景も(肥えそう⋯⋯)

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