時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会問題について小島慶子さんが取り上げます。

写真/JMPA(日本雑誌協会代表撮影)

もう、そっとしておいてあげて! ニューヨークへと出発する小室眞子さんと圭さんのニュースを見て、そう思った人も多いはず。到着した空港にもカメラが待ち構え、「問いかけには一言も答えず」などと非難がましく報じるメディアもありました。出発の際に眞子さんがワイドパンツ姿だったのを「夫をリードする覚悟の表れか」などと勝手に分析する評論家までいたけど、スカートを穿かない女性=男勝りって、それいつの時代の解釈? 
圭さんが髪を伸ばしていれば騒ぎ、結婚会見を終えた眞子さんが髪を下ろしていればまた騒ぐ。やれ世帯収入がいくらだ家賃がいくらだと下衆の勘ぐりで私生活を嗅ぎ回る様子は、若い夫婦への嫌がらせにしか見えません。そりゃ海外に引っ越したくなるよね。

 

圭さんのNY州の弁護士資格試験の結果を騒ぎ立てたのも本当にひどい話です。2月の試験の結果もきっとニュースにするつもりなのでしょう。プライバシーが侵害されっぱなしの状態で新生活を立ち上げ、短い期間で勉強しなくてはならないのはどれほど大変かと気の毒に思います。二人を追いかけ回すメディアが、“わがまま勝手な若い夫婦が調子に乗ってニューヨークに渡ったけれど、当てが外れて暮らしに困る羽目になった”というストーリーを待ち望んでいるのが見え見えで、本当に腹立たしいです。それ、しつこい集団いじめだからな!

結婚会見では、眞子さんが圭さんに頼んで結婚後の生活の拠点をアメリカにするべく急いだことが明かされました。心の底から「そうだよね、私が同じ立場ならきっとそうするよ。一刻も早く逃げて!!」と共感してしまいました。
現存する世界最古のロイヤル・イエ制度である皇室。そこに生まれた女性は、あたかも国民のムスメであるかのように模範的な良い子であることを求められ、国中から結婚に口を出され、相手の男性は国民のムコであるかのようにさんざん品定めされケチをつけられます。女性が好きな人と結婚するというただそれだけのことで、やれ税金で養ってやっているだの、その金は受け取るなだの、恩を着せたり説教したりするコメントがネットに溢れ返る。皇族ならそれぐらい当然のこととして耐えろというのは、もはや暴力です。

皇族として生まれた女性だけではありません。上皇后美智子さま、皇后雅子さまも皇室に入ってメンタルを病むほど苦しまれました。妊娠や流産のことまで事細かに報じられ、どれほど辛かったでしょう。普通に暮らしている女性だって、自分の妊娠や流産の話はごく親しい人にしか言いませんよね。それを憶測も含めて、何度となくメディアで取り沙汰されるのですから。
皇室に関わる女性は「血を受け継ぐ子宮」にばかり注目され、血統の純潔性を守るためなら一人の人間としての幸福や自由は犠牲にしても当然と言わんばかりの論調が目につきます。それはまさに、女性が子孫を残すための道具として扱われていた家父長制の発想そのもの。かつて女性は男性の所有物として、法律上でも父親のものから夫のものになる存在でした。敗戦後に日本国憲法ができてからも、相変わらずそうしたイエ中心の発想は残っています。これを読んでいる人の中にだって、交際や結婚、出産について親や親戚にわあわあ言われた経験のある人がたくさんいるでしょう。

皇室に関するゴシップではよく「日本の伝統が」「日本の歴史が」とコメントする人がいるけれど、文化や伝統、歴史は皇族によってのみ担われるものではありません。今この時代の日本で生きている人たちが作っているものです。だったらこの国ぐるみのいじめが今の日本文化であり、それを喜んで消費する心性こそが日本人の心ということになるでしょう。この騒ぎを見ても、自分が「日本」を都合良く皇室に丸投げしていることを考えないではいられません。これまで皇室に何を押し付けてきたのか、それをいつまで続けるのかを考える時期に来ていると思います。

眞子さんが海外での共働き生活を選んだのは、そうした永遠の親戚気取りのメディアや国民の目から逃れるためでもあるでしょうし、一人の若者として、海外で働いてみたいという思いもあったのかもしれません。国際基督教大学で学んで留学もし、公務で世界の要人と交流する経験をしているのだから、自分の力を生かして一生続ける仕事を持ちたいと考えても不思議はありません。女性は結婚したら皇族ではなくなるので、それまでの公務にやりがいを感じていても離れざるを得ません。ならば、その経験を海外でのキャリアで生かしたいと考えることもあるでしょう。

ゴシップの見立てでは「いい加減な男に騙された世間知らずの眞子さん」「何もかも捨てて、外国で働く夫について行く眞子さん」「弁護士を目指す夫を助けるため、働いて家計を支えることになった眞子さん」という筋書きばかりですが、今回の結婚と渡米を一人の女性が主体的に人生を生きるための選択という視点で見れば、あれほどの障壁を乗り越えて目的を果たした意志の強さは並大抵ではないし、本当に良かったと思います。もちろん、人生にはさまざまなことが起きます。結婚も仕事も、予想外の課題に直面することはいくらでもあるでしょう。でもその度に自分で決断することができれば、悔いなく生きることができます。ようやくその自由を手にした勇気ある一人の女性の決断を心から祝福したいです。だからもう、二人をそっとしておいてあげて。
 


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