理想は、着る人になじみ、その人の輝きが見える服
第一に、「このブランドを着ていればおしゃれに見える」なんて安心は、どこにも売られていないと心得るようになった。
実は、具体的に何を着るかは、おしゃれの一要素に過ぎなくて、またゴールでもない。服の他に、健康そうな肌や体、笑顔、TPOに合っていることなど、いくつかの要素がそろって、おしゃれで素敵な人という像はつくられる。
服ばかりが前に出てしまって、その奥にある人としての輝きが見えなければ、どんな高価な服も意味をなさない。だから究極的には、服のことなんて忘れさせてくれる、それくらい着る人にとっては自然で、他人の目からもなじんで見える服が、理想的なんじゃないか、と思うようになった。
そういえば、以前あるトークイベントで聞いた、ファッションブランドのディレクターの方のお話に「すっごくわかる!」と膝を打ったことがある。
その内容は、「以前なら、たとえば好きなロックバンドのTシャツを着ることが、自分の趣味を周囲に伝える役割を果たしていた。けれど、今はそんなことをする必要はない。誰もが SNSで自分の世界観を表現でき、それを通じて同じ趣味の仲間やファンをつくることだってできる。もはやファッションで自己主張する時代じゃないのだ」......と、ざっくりいえばそういう話だった。
そんな時代に、ファッションブランドとしてどんな服をつくるかという課題について、いろんなヴィジョンを展開されていたのだが、要は「誰が着てもその人らしく見える服をつくる」ということなのかなと解釈した。
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