大人に必要なのは「どんな自分でいたいのか」という広い視点


ティーンエイジャーになったばかりの娘を見ていると、なんてことのないTシャツとデニムを、メイクもアクセサリーもなしに無造作に着ているだけで、ハッとするほど絵になることに驚かされる。若さという、生命体としての圧倒的な輝きが、服の存在をも消し去る勢いでオーラを放っているからなのだろう。

でも、年を重ねた者にだって、若さとは別のオーラがあるはずなのだ。 

たとえば人間的な丸みや穏やかさ。あるがままの自分と他者を受け入れる寛容さ。茶目っ気やユーモア。おもしろいことを教えてくれそうな知性とやさしさ。生活を楽しんでいそうなしあわせ感やハツラツ感。

そうした大人の魅力が自然に醸し出されるような、そんな服がいいなと、漠然と思っている。と同時に、気づかされる。つまりは大人になると、内面を服ではごまかせない。内面が充実していて初めて、服も人も輝いて見えることに。

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マスクが日常になってから、ピアスはスタッズ型ほぼ一択。車で駅前まで、電車で遠方へ。どちらの外出でもダイヤかパールをつけておけば、まず後悔しないし、これくらいの「気にならなさ」が落ち着く。
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今あらためて良さを見直しているのがシルクのスカーフ。とくにエルメスは、母や義母から受け継いだもの、 30代のころ買ったもの、比較的新しいものも全部カッコよくて、その普遍性に惚れ惚れしてしまう。

大人のおしゃれがむずかしくて悩ましいのは、きっと、服と体型の問題だけでは済まないからなのだ。何を着るか、それ以上に、どんな自分でいたいのか、という広い視野に変える必要があるからなのだ。

 

その一方で、やれ、肉がたるんできただの、肌がくすんで見えるだの、大好きだった服がいつのまにか似合わなくなっているだのと、現実的でシビアな問題が次々と噴出する。だからやっぱり、大人のおしゃれはタイヘンである。 
 

(この記事は、小川奈緒著 『ただいま見直し中』から一部抜粋・改変したものです)

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『ただいま見直し中』
著・小川奈緒
技術評論社

これまでの習慣や思い込み――お金の感覚、モノの持ち方、大切なことの優先順位、40代の終わりを迎える著者が日々の違和感に向き合い手がかりを探っていく、爽快で心地よいエッセイ。
日曜の晩酌をやめてみたら/おしゃれの優先順位/防災は続くよ、どこまでも/携帯料金で浮いた8千円について/ブログの毎日更新をやめた理由/アラフィフ、断食に挑戦する/メルカリへの感謝状/得意なもので勝負するetc.


撮影/キッチンミノル
構成/松崎育子(編集部)

 

 

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