苦しむことは人間の運命のようなもの。それに従ってもいいし、逃げてもいい

 

まなほ 「どうして私ばかりが苦労するのか」、「これだけ苦労が続くのは私の運命なのか」と、悩んでいる人もいると思います。就職先がなかなか決まらなかったり、自分の母親の介護が終わった途端に夫の介護が始まったりして、「こうして苦労や悲しいことが続くのは、私の運命なのか」と嘆く人もいると思います。

寂 聴 気の毒ですが、たしかにそういう人はいます。

まなほ 先生、やっぱり運命というものはありますか?

寂 聴 あります。絶対にあります。そんなことをしなくてもいいのにと思うようなことをついしてしまったりするのは、運命としか言いようがありません。普段、考え方もしっかりしていて、どうしてあんなに賢い人がこんなことをするのだろうと思うことがありますが、それもやはり運命です。男の人なら、あんなにいい奥さんがいるのに、どうしてあんなにつまらない女に引っかかるのだろうとまわりの人は思うかもしれませんが、それもまた運命です。仕方がないことです。

 

まなほ 仏教には、運命には逆らえないというような考え方があるのですか?

寂 聴 そもそも仏教では、「この世は苦だ」と教えています。つまり苦しむことは、人間にとって運命のようなものです。あなたも「四苦八苦」という言葉を聞いたことがあるでしょう。

四苦とは、生老病死、すなわち生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみです。この四つに加え、愛するものと別れる苦しみの「愛別離苦(あいべつりく)」、怨んだり憎んだりしている人とも会わなければいけない苦しみの「怨憎会苦(おんぞうえく)」、欲しいものが手に入らない苦しみの「求不得苦(ぐふとっく)」、人間の心身を構成している色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)という五つの要素から否応なく生まれる苦しみの「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」という四つの苦しみがあります。この八つの苦しみを合わせて「四苦八苦」と呼びますが、私たちが生きていくうえでこの苦しみから逃れることはできない、それが人間の運命だというのが、お釈迦様の教えです。

まなほ そうした苦しみから絶対、逃げることはできない、甘んじて受け入れるしかないということですか?

寂 聴 仏教ではそうなるのですが、私は必ずしもそうだとは思っていません。「私一人がどうしてこんなことをしなくてはならないのか」、「こんなことは私にはふさわしくない」と思ったら、そこから逃げてもいいと思っています。

まなほ それはつまり、「これは私の運命ではない」と思って、その運命を変えるような行動をしてもいいということですか?

寂 聴 例えば自分以外にも兄弟がいるのに、「私一人だけが母親の世話をしなくてはならないのはおかしい」と言って、逃げても構わないと思います。