もしこの世に資生堂がなかったら、私たちはどうなっていたか?
思えば資生堂はいつも、私たちの生き方に関わってきました。1966年、褐色に焼けた肌で「太陽に愛されよう」と先端を行くゴージャスな美を見せてくれた当時18歳の前田美波里さんが、今56年後に同じシチュエーション、同じ白の装いで、同じように輝いている奇跡。もうそれ自体が強烈な生き方の提言といえます。勇気が出るとか、自信が持てるか、もうそのレベルではない、まさしく眠っていた細胞が目を覚まし、改めて生命力が覚醒する、そんな力をもらえると言っても大げさではないほどの。
思えば私自身も学生時代から、良い意味でプロモーションのテーマを競い合うような立場にあった資生堂とカネボウの提言に、代わる代わる価値観を刺激され、毎シーズン大きく心を揺さぶられてきました。
化粧品メーカーの掲げる女性像には、とりわけ自分を投影してみるような傾向が女性にはあって、それこそ化粧品は知らず知らず明日生きていくための糧となり、生きていたくない日まで、体ごと引っ張り上げられるようなエネルギーをもらっていた気がするほど。
それを資生堂は150年に渡り、私たちのすぐそばにいて提供してきたわけで、一体どれだけの女性を支え、救ってきたのでしょう。
私は何かにつけて思うのです。もしこの世に資生堂がなかったら、私たちはどうなっていただろうと。日本女性は今のような凛とした生命感を輝かせてきたでしょうか。
美しさに不可欠な、知性も洗練も愛らしさも色香も、そして快活さも力強さも、明らかにその何割かは資生堂が育ててくれたと言っていいのです。
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