その社名は、150年も前に、最も尊い徳を教えてくれていた!

資生堂150年周年、テレビCMが私たちに訴えかけることーーその60秒には、なぜこれほどこみ上げるものがあるのか?_img9
1897年 本格的な薬学技術を用いた高等化粧水オイデルミン(画像左)
1917年 過酸化水素キューカンバー。化学的美顔術効果のある美白化粧水(画像中央)
1923年 紫外線の影響が知られる前に発売された日焼け止めウビオリン(画像右)

150年前、初めての西洋薬局としてスタートし、西洋薬学の元で開発された赤い化粧水オイデルミンは、その佇まいまでがため息が出るような西洋文化の耽美主義を思わせるものでした。
その後もアールヌーボーやアールデコと日本の伝統美を見事に融合させた資生堂のデザインは、パリをはじめ欧米での評価が極めて高く、まさに世界に誇れるもの。そうしたものを日常的に目にしてきた私たちの感性が、いつの間にか、そして存分に鍛えられたのは確かなのです。

 

またその社名。150周年を機に改めて注目を浴びているそのルーツは、中国儒教の教え「大地の徳とはなんと素晴らしいものだろうか! すべてのものはそこから生まれる」と唱える「至哉坤元 万物資生」にありました。

それはまさに、巡り巡って今の私たちがしなければいけないこと、すなわち“掛け替えのない地球を自分たちの手で守ること”への、絶対的な動機となるもの。そのために必要な情熱の発露となる哲学に他ならないのです。まるで未来を見据えていたような社名に、ちょっと鳥肌が立つほど。

それにしても、産業革命、文明開化の怒涛の中で生まれる資生堂がなぜ当時そうした社名をつけたのか? おそらくは、それでもなお最も尊いものは、私たちが住むこの大地なのだと言うことを戒めるためだったのではないでしょうか。自らにも、そしてこの世に対しても。

美の定義にとどまらず、私たちが生きていく上で常に指針としなければいけない、文字通りの徳のあり方までを、わずかも押しつけることなく、さりげなく教えてくれていた150年。
だから今更のように確信させられたのは、資生堂が私たち女性にとって、一企業を超え、精神的主柱であり、道標でもあり、またある種の学び舎でもあったこと。そばにいてくれる限り、私たちは大丈夫。人生100年も迷うことがない。そんな思いを今、新たにしているのです。
人の幸せを願える美しさ……それこそを自分自身も目指していこうという決意とともに。
 

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文/齋藤 薫
構成/藤本容子
 

 

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