言いそびれた言の葉たち。いつしかそれは「優しい嘘」にかたちを変える。
これは人生のささやかな秘密と、その解放の物語。
第24話 シングルマザーの逆転大作戦②
「桃香、俺は君と夫婦でいることに疲れたよ……悪いけど、俺たちは相性が悪すぎる」
深夜3時。たまらずに何か言おうとして、相手の言葉は突然に遮断された。暗闇の中、桃香はそれが夢だとわかるまでにしばらくかかる。心臓がどくどくと波打っていた。
――夢で何度もリピートされる、捨て台詞の威力よ。
桃香は自嘲的に笑った。喉がカラカラだ。ベッドから起き上がり、寝室を出た。こじんまりした2LDKのマンションは賃貸で、家賃は8万円。離婚する前、もっと言えば結婚当初から住んでいて、駅が近く掘り出しものの物件だが安普請は否めない。隣の部屋で眠る佐知を起こさないように、素足でそうっと廊下に出た。
コップに水を注ぐと、桃香は一口飲み、気が抜けたようにソファに座る。
桃香と、元夫の信也は授かり婚だった。信也は桃香が勤めている不動産屋に、賃貸の部屋を探しにやって来たことがきっかけで知り合った。たまたま住んでいるアパートも近くて意気投合。
付き合って半年で子どもができたとき、戸惑いながらもやがて嬉しそうに結婚しようと言ってくれた。それは間違いなく、桃香の人生で最高に幸せな出来事だった。
家庭環境に恵まれず、高校を出てすぐに自活していた桃香は、20代半ばまで充分な遊びを知らなかった。新しい世界や楽しみを教えてくれたのは信也だ。「こんなの学生時代に行くだろ~」とからかわれるような店やスノーボードも、桃香にはそれまで縁がなかった。そんな信也がプロポーズをしてくれたのだ。ひとりで頑張ってきてよかった、と桃香は思った。
そして夢の新婚生活は、可愛い一人娘の佐知が生まれたことでクライマックスを迎える。
誤算だったのは、そこが桃香の人生の頂点で、その3年後に信也が謎の「疲れた」発言を残して桃香と佐知のもとを去っていったことだった。
――どうせ女でもできただけのくせに。疲れた、って何よ、ドラマの主人公じゃあるまいし、そんなヘタレな男こっちから願い下げよ! 佐知は私が立派に育てるんだから。そうよ、シングルだからってできないことなんてないはず。そのためにコツコツ20年も働いてきたんだからね。
桃香は、コップの水を飲み干すと、ちいさく「よし」とつぶやいて立ち上がった。
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