老人はつねに上から見おろされている


老境に入ったホール氏は、今の自分を映す鏡ともいえる周囲の人々の反応を、冷酷なほど的確に見つめていました。彼は、自分に対して好意的な人のなかにも優越感や差別意識があることを見抜いていました。

「老人の特異性に対する人々の反応は、冷たいことも、温かいこともあるが、変わらないのは、つねに上から見おろしているということだ。ある女性がわたしの業績を褒めたたえる文章を書いて、新聞に投稿したとしよう。彼女はわたしのことを“素敵な老紳士”と呼ぶ。“素敵な”と“紳士”は誉め言葉だ。“老”は100パーセント本当のことであり、彼女はわたしが気むずかしい老いぼれだと言っているわけではない。それでも、“素敵な”と“紳士”は、わたしを箱のなかに閉じこめる。彼女はわたしの頭を撫でて、わたしがゴロゴロと喉を鳴らすのを待っている。もっと言うなら、わたしが尻尾を振って、彼女の手をなめ、甘えた声を出すのを待っている」

 

わたしは、存在感は薄いが、透明ではない


家族と一緒にいれば、孤独を感じることはない。多くの人がこのような「幸せな老後」のイメージを抱いていると思いますが、それをあざ笑うかのように、ホール氏は家族や社会における自分の立ち位置を冷静に書きつづっています。

 

「家族との夕食の席で、わたしの子供や孫たちはわたしにとても気を配ってくれる。わたしという人間は存在感は薄いが、透明ではない。けれども、孫の大学のルームメイトは、わたしとはじめて会ったとき、わたしに背中を向けて椅子にすわり、わたしを家族の輪から締めだしてしまった。わたしは存在していなかったのだ」