「後ハッピーマニア」では、昔はそれなりにイイ男たちにモテていたシゲカヨが、アラフィフになると同世代の男性から恋愛対象として見られないどころか「男でも女でもない扱い」をされる描写が。この男性の視界に入らなくなる「透明人間化現象」も、アラフィフ世代のあるあるのような。 

こういう、自分が「おばさんという生き物」になったんだなと感じる瞬間、アラフィフになってからものすごく増えて来ました。最近だと、編集さんとGWに谷根千散歩に行った際など、おしゃれな店では客の最年長がことごとく自分だったときに、それをひしひしと感じます。「ああ、自分はこういう店のメインターゲットではもうないんだなあ」と、第一線から外れてしまったさみしさを感じるのであります。

だけどもちろん、歳を取るのは悪いことばかりではありません。AJLTでキャリーが最後に言ったセリフに、その真実が詰まっています。

「長く生きれば生きるほどわからなくなる。人生の多くは理不尽なことだらけよ。だけど私は、夫を失って学んだことがある。また笑える日がいつかくるってこと。特に、いい友達がひとりかふたりいればね。それと、愛に関しては何だって起こり得る。未来はまだ白紙よ」。

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「And Just Like That…」の撮影風景。写真:REX/アフロ

AJLTと「後ハッピーマニア」。ふたつの作品が教えてくれるのは、どんな苦難があっても、一緒に笑い飛ばしてくれる女友達がいれば人生は何とかなるということ、長く生きることでレジリエンス(苦境から立ち上がる回復力)は確実に強化されるということ。そしてキャリーがいうように、恋愛だけでなく、未来はまだまだ白紙で、驚くような嬉しい奇跡だってこの先も起こり得るのです。

 

個人的にAJLTは全10話のうち8話目くらいからようやく話に入り込めるようになったのですが、それでもやはり最後まで観てよかったなと思える、希望の持てる終わり方でした。

「後ハッピーマニア」はまだ連載中で現在第3巻までの発売なので、この先どうなるかはわかりませんが、シゲカヨにも親友のフクちゃんにも幸せになって欲しい(余談ですが「ハッピー・マニア」は稲森いずみさんと藤原紀香さんでドラマ化もされてましたよね。懐かしい!)。世代的にはシゲカヨの方が自分の年齢と近いこと、漫画なので登場人物のモノローグがあり心情的に感情移入しやすいこともあり、かなり刺さる名言が続出でした。同年代の女性として、ふたりがどんな「ハッピー」をみつけるのか楽しみです。
 

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