言いそびれた言の葉たち。いつしかそれは「優しい嘘」にかたちを変える。

これは人生のささやかな秘密の、オムニバス・ストーリー。

 


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義両親がいきなりご近所!?「そんなの困る……」

 

「お義母さんが? 神戸の家を売った? 1LDKのマンションを買って高輪に引っ越してくる?」

涼子は、思わずカレーをかき混ぜる手を止めて夫の晃司の顔を見た。

「ああ。まったくアレは本気だったんだな。おふくろ、昔から言ってたんだよ、『お父さんが関西の本社勤務辞令が出たから泣く泣くついてきたけど、定年したらすぐに生まれ育った東京に戻る』ってさ。『だから晃司も東京の大学にしなさい』ってすんなり上京させてくれて、当時はラッキーと思ってたけど、まさか本気だったとはなあ」

「ちょっと、何をのんきな……! 神戸の家を売ったって、高齢者二人で遣り手の不動産屋さんにそそのかされてるってことはない? あなたちゃんと見てあげないと……高輪のマンションって、よくそんなお金が……ヘンな物件つかまされてるんじゃ」

涼子はあわあわと呟きながら、カレーのお玉を握りしめたまま晃司の手元のPCをのぞき込む。

「もう売っちまったし買っちまったってよ。ま、昼間電話できいたところによるとなかなか掘り出し物っぽいリノベ済みの中古マンションだし、売った家の金で買えたみたいだ。手元に現金も残ったみたいだよ。何も俺たちと一緒に住もうってんじゃないし、好きにすればいいんじゃないか。近い方が子供たちのことも預けたりできて便利かもしれないよ」

「預けるって……もう由真と絵美は中学生だってば……」

涼子は夫のあまりにもお気楽な反応に、呆然としながらマンションの外、高輪の方角を見た。

それが「始まりの合図」だとは、まだ少しも知らずに。