林真理子さんの小説に出てくる「着こなしの描写」について


大草 博子さんが、ランバンの白いワンショルダーのイブニングドレスを着て田原さんと映っている写真がありますよね。本を読む前に、まずあの写真を見て、惹きつけられてしまったんです。というのも、あれは日本人女性ならではの着こなし方なんですよ。

 へえ! そうなんですか?

大草 ヨーロッパのご婦人が着るときは、たぶんもうちょっと筋肉が浮き上がるんですよね。そうすると、素材の柔らかさとたおやかさに対して、マスキュリンな雰囲気がめだってしまい、アンバランスな印象を与えてしまうこともあるんです。でも博子さんがあのドレスを着ると、じゅわっと溶けるような色気が生まれる。なかなかこんなふうに着こなせないなあと思いました。

 なるほど。骨格だけでなく筋肉の付き方も関係してくるんですね。

林真理子×大草直子「自分が納得して選んだら、誰になんと言われたって、存分に楽しんで」_img0
 
 

大草 小説を読んでいても、博子さんがお召しになっている着物をはじめ、色や質感が感じ取れる描写が多いですよね。博子さんがファッション的にも洗練された方だというのが、とても伝わってきました。本当におしゃれな人というのは、身に着けているものが高級か、最先端であるかなんて関係ないんですよ。自分にいちばん似合う形や素材を知り、自分を引き立ててくれるシルエットを客観的に把握する。そうして、行く場所に合わせてスタイルを選ぶというのが大事なので、知性も必要になってくるんですよね。

 


「I」を主語にすれば、自分が納得する選択ができる


 博子さんって、背中が大胆に開いたアバンギャルドなドレスも、伝統的な着物も、全部着こなしてしまうんですよね。それはきっと、彼女が自分をしっかり持っているから。やっぱり、自分は何も間違ったことはしていない、と堂々とすることは誰しも必要だと思うんですよ。私も、若い時にはいろいろと恥ずかしいこともしましたが、人として恥ずかしいことは何一つしていないと思って生きてきたことが、自分らしく胸を張れる自信になっていると思います。それさえあれば、誰になんと言われたってかまわない。まあ、たまには傷ついたり腹がたったりすることはあるけど(笑)、くじけずに自分を貫いていけますね。

大草 それでいうと私は、プライベートでもお仕事の場でも基本的に主語を「I(私)」にするようにしています。どうしても「あの人がこう言ったから……」「家族のためにはこうするほうがいいのかも……」と忖度が働いてしまいそうになるけれど、主語をTheyやHeにしたとたん、何かが崩れてしまうような気がする。迷ったときほど、自分がいいと思えるかどうか、納得できているかどうか、「Ⅰ」に立ち返って考えますね。