悠久のように思えたツーショット撮影は実際にはものの数秒で終わり、僕はそそくさと立ち上がる。推しはアクリル板越しに「ありがとうございました」と目礼をしてくれた気がするのですが、目が合ったら網膜が破裂する自信があったので、目深にかぶった帽子で顔を隠すようにうつむき、さっとその場を立ち去った。せっかく推しが挨拶してくれたのに、なんて失礼な態度。今すぐ誰か僕に懲役刑をかけてほしい。

会場を出ると、いやに日差しが眩しい。春の陽気で、街全体がスキップしているみたいだ。茂みから這い出てきた敗残兵みたいな僕はまったくの場違いで、ようやくそこで大きく息を吐いた瞬間、自分がずっと息を止めていたことに気づいた。膝が今になって堰を切ったように震え出す。緊張状態だったせいだろう。腰に鈍い痛みが走る。今までさんざん推し活は健康にいいと提唱してきたけど、嘘だわ。心臓に悪すぎて、完全に寿命が縮んどる。

ぜえぜえと息を切らしながら駅前の広場に向かう。ようやく気持ちも落ち着いてきて、ついさっき目の前で起きたことが現実だったという実感が湧いてくる。推し、隣にいた……? アクリル板越しとはいえ、推し、隣にいたよね……? え? あの瞬間だけは、僕、世界でいちばん推しと近い位置にいる人間だったということ? すごない? これからプロフィール欄に「2022年×月×日×時×分×秒頃、地球上で最も推しの近くにいた男です」って書けるってこと? 勲章やん? 紫綬褒章やん? その事実のあまりの大きさに脳が警告音を鳴らしてきたので、ひとまず正常値に落ち着けるためにも、あれは夢だったと誤認させることにした。

そう。あれは夢。ちょっとした白昼夢です。しかし、手にぎゅっと握りしめたスマホの中には、あれが白昼夢ではなかったことを物語る証拠が眠っているのである。PINコードをタップし、おそるおそるカメラロールを開く。あ、おるわ、推し、おる、おる。めっちゃ仏みたいな顔で微笑んでる。

そして、気づく。推し、めっちゃ姿勢いい。骨盤をまっすぐ立てているのがわかるし、背筋がぴんと伸びている。え。めっちゃ推せる。その点、横にいる奇っ怪な生き物は、腹筋と背筋が足りないせいだろう、肩が下がり、背中が丸まっている。汚な。僕はすぐさまその横にいる奇っ怪な生き物を外し、推しだけをトリミングした。

「認知されたくないオタク」の僕が、推しの撮影会に行ってしまった時の話をしようか_img0
 

ツーショットを無理くりワンショットにした写真をホーム画面に設定し、もう一度、気持ちを鎮めるために息を吐く。それにしても僕は普段からあんなに汚い座り方をしているのだろうか。姿勢が良くないとは思っていたけれど、改めて客観視することで、自分のひどさを再認識させられた。

 

あれから数ヶ月。今、僕は姿勢改善のために筋トレに励んでいる。推しのようになれるとは思っていない。けれど、せめてそうやって姿勢からしてまっすぐな推しの生き方に恥ずかしくない人間でありたい。その一心で、ちみちみとトレーニングを続けている。体育でサッカーをやるときも、ボールがまわってこないポジションを探した結果、自陣のゴールの後ろに隠れ、クラスメイトから罵声を浴びた僕が、自ら筋トレを頑張るなんて、まさに青天の霹靂である。

つくづく推しは、人生を変える。姿勢は今のところまだ猫背だけど、ひとまず2キロやせました。

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

「認知されたくないオタク」の僕が、推しの撮影会に行ってしまった時の話をしようか_img1
 

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